2008年3月18日(火)
        ジジの音楽武者修行
     
      スクールーオーケストラと そのヴァリエーション
                 
    
                ”ありし日の卒業式”
                                              
NO 123

ポカポカ陽気・・・。梅の花も満開で日和もよく気持ちが良い。(花粉症のジジとしては、もう少しの我慢だが・・・)
今日(18日)昼過ぎに小学校の前を通った。卒業式看板の前で記念写真の撮影中。それぞれの進学先の制服を着ていたようである。胸にはコサージュが飾ってありチョッとお洒落な雰囲気・・・。

ジジの頃に卒業式になると決まって歌った「仰げば尊し」。最初の頃(昭和40年代前半)は斉唱。でも「音楽の生活化」等が話題になるころから次第に合唱が盛んになってきた。それに合わせて「仰げば尊し」も2部から4部(ジジの高校時代の楽譜)へと挑戦。オルガンを弾きながら夢中でハーモニーをつくった。そのうち、4部が定番になってきた。
でもこの年で思うに、主旋律以外のパートには結構無理強いをしていたのではないかと思うこともある。やはりこの曲は斉唱で歌った方がよいのではと思うが・・・・・。これも無手勝流の思い込みかと反省するところ・・・。

そして、最後に歌う曲が「この街で学ぶ」(3部)「結城ふじを作詞・渡部節保作曲)である。
作詞・作曲については、憶えていなかったので当時のヴァイオリン奏者から教えてもらいました・・・・(ありがとう)・・・。
”スモッグの無い空が広がり・・・・文化の香り・・・・緑に囲まれた・・・この街で住む幸せ・・・・”。青春賛歌といった曲でみんな大好きだった。精一杯歌った。

この曲を探してくれたは「第4回ウィーン青少年音楽祭」に参加したとき、コンサートマスターを勤めてくれた故相原美音さん。この曲は後に、卒業生の数名が中学校教師になり、各地に広がっていった思い出多い名曲である。随分前にもう一度・・と探したが絶版。その後この楽譜を見たことがない。でもメロディーや歌詞の節々は今尚残っている。

その後、それに変わって歌われだしたのが「大地賛頌」。いずれの曲にしても壇上で指揮をしたことがとても懐かしい。

まず、全体を大きく眺める。”サー 最後の合唱だ・・・頑張って歌うぞ・・!!とばかりに両手を挙げる。
「仰げば尊し」の一番位は平静を保てるが・・・。2番の途中からあちこちですすり泣きの声が聞こえる・・。目が真っ赤な子もたくさんいる。はじめは、”頑張れ 泣くな・・・!!”と言わんばかりに棒を振りながら目で訴えていくが・・・。そのうち、極力一人一人を見ないようにするがどうしても目が向いてしまう。というより探すと言ったほうが当たっているかもしれない・・・。学級担任としてあるいは部活動の顧問として様々な出来事が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。
それは、月月火水木金金でしかも早朝から夕刻まで無我夢中で子ども達と頑張ってきた部活動での出来事は今尚鮮明に覚えていることが多いのは仕方が無いことかもしれないが・・・。

中には、目と目が合ってしまうものならとても辛いものがあった・・・・。
とうとう最後になると、天井や在校生の方へ目線を移して涙腺が緩むのをカバーはするものの・・・・・・。
今思えば昔し、ありし日の卒業式の思い出である。
        フレー フレー !!
               ” 苦悩をつきぬけ 歓喜にいたれ”

                    
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ジジが現職の時、毎朝7時半頃校門から約100M位離れた横断歩道で”おはようおじさん”をしていた近所の”枝垂れ梅”です。古民家風の造りにマッチした風情がとても気に入ってました。今年も見事に咲いてくれました。
”肥後椿”は最後の勤務校に記念樹として熊本から取りよせて植えたものです。今でも、時々ご機嫌を伺いに会いに行きます。大輪の花が待ち遠しいです・・・。