2009年01月17日(土)
        ジジの音楽武者修行
     
      スクールーオーケストラと そのヴァリエーション
                 
                      〜お神酒の話し〜
                        

                                       
 NO 155

谷津干潟(ラムサール条約の地)

二宮神社(船橋市)

ジジが教職について間もない頃のお正月のこと。
習ー中に勤務した年からだったと思うが・・・年中裸足の部長のS氏(Vc)達と「キューピーの観兵式」(1967年)を演奏したことからお酒を飲んでいたのだから・・・。それから、毎年6帖2間と4・5帖のDK?のジジ宅にオケのメンバー(3年生が中心)が集まるようになったのかな?。昔は何事につけてもかなり大らかな時代・・・・。

伝統を継承する意味から全員にお神酒をふるまった。少々飲みすぎてもOK。足のふらついた後輩に肩を貸して送る先輩達。親の方も”・・・じゃ、しょうがないね・・・”と思ったのかは知らないが・・。時折送っていくと・・お世話になりました・・・すみません・・・”と感謝?されるほど。いい時代??かな。時効 時効・・・・。

と言いつつも、”未成年にお酒を!!ケシカラン話。世が世なれば即首!!。当然!!”。と言う声が聞こえてきそうですが・・・。

”酒を覚えたのは 中学時代にジジ宅ですから・・・と46歳のCbの彼。その彼はつい先日も日本酒より”酎”だと。できれば、”ホッピー(低カロリー プリンタイ カット)が・・・・”  ”.40歳なかばでナニゴトゾ・・・!!”と思いはするが・・・。”健康趣向の時代”  これもチョッと納得かな・・・・???。

お客にお酒をふるまうのはジジ的にはなんら抵抗のない当時(昭和40年代)。何故なら、ジジの誕生地である、熊本県球磨郡は球磨焼酎(米)で有名。球磨地方でお酒と言えば「球磨焼酎」を指す。酒屋にいっても日本酒は置いていなった。冠婚葬祭・・・何につけても茶碗酒で一杯。中学生位になると”ホレ 一杯飲め!!”といって飲まされるのがごく普通。

この風土で育ったジジとしては、”正月くらいとお神酒程度ならいいだろう・・・”のつもりだつたが・・・・・。

年々人数が増えた。来てくれるのは大歓迎。。靴は玄関からはみ出し、裏庭(猫の額ほど)の入り口から直接部屋に入った。
お昼はカレーや五目御飯を中心としたメニューが定番。お皿は家中あるだけの大小の物を用意。炊飯器も一升炊きを用意。ミカンは2〜3箱箱用意してもペロリ。当然、お菓子類も・・・・。
昼食が終わると、4・5帖のDK?まで人であふれてくる。家族の居場所がなくなり、庭ですごしたことも度々。

ゲームといっても昔のこと。トランプ、オセロ(各1組)程度。後百人一首も用意したが不人気。お神酒の効き目もあり、部活での暴露話アレコレ・・・。これがまた楽しい・・・。今だから笑って話せるが・・・・。

年々増える人数の多さに、卒業生から成人と在校生の2日間に分けて対処した。

そのうちに家を建替えた。普通だったら素敵な寝室?等と・・・。ところが、2階は6帖と4・5帖を襖で仕切って宴会場を確保。部屋らしいのは1階の応接室以外は2階の6帖(床の間付き)プラス3帖サンルームの和室のみ。
ここは、着物姿などの素敵な子たちのもてなしの部屋。

今度は、先生仲間の部もはじめた。この集まりは何かと理由をつけて大宴会も度々・・・。クジラの刺身を特性のタレで食べる。特性のタレ(もちろんジジがつくる)は醤油をベースに味醂、卵の黄身、ニンニク、砂糖、コショウ等・・・・・。なかなかの美味で大好評。

この宴会大好きの気質は誰に似たのだろうか・・・。

                    
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