”アスリート 感動 劇場・・・!!
         1億人の心に響く物語”より

HIDEKI MATSUI BEAAME THE FIRST
JAPANESE PLAYER TO WIN THE WORLD
SERIES MVP
       WORLD SERIES 2009 

    〜明徳義塾と星陵・・5打席連続敬遠〜
・”勝つための作戦”。3対2・・・一打で同点逆転。・・・河野投手は監督の指示で5連続敬遠。・・・結果、松井は負け、河野の勝った。しかし、河野には”帰れ・・”のヤジが甲子園を包んだ。
・1992年ドラフト
松井(18才)はジャイヤンツ内野手で華々しくスタート。河野は専修大学に進む。しかし、”松井を敬遠した男”の名が付いてまわる。”・・・俺は監督を信じて投げた・・・実力で世間を振り向かせる・・・松井と同じ舞台で!!・・・”と闘志を燃やしたがドラフト(1996年)では指名されなかった。声を堪えて泣いた。
その後、河野は社会人チームで・・・しかし、プロからの声はかからなかった。

一方、松井はニューヨーク ヤンキーズへ。
河野は松井の試合を欠かさず観た。まるで違う、人生・・!。

・河野は一人でアメリカに渡った。松井と戦うために・・・!。
アメリカの小さなチームで月給10万で・・お金が足りなくなると日本でアルバイト・・・。そして、また渡米・・・。の繰り返しの日々。
・現在35歳。メジャーを3年前にあきらめ千葉で社会人野球チームを指導。背番号が55!!。
”55号に気負いも 照れもない・・・今は誇りをもっている。
・松井の決意
敬遠があったからこそ、今の自分がある!!敬意されたことが自分の原動力。心の底で”どこかで証明しなければ・・・”とメジャーへ。
・ケガ、スランプ時の一通の手紙
”久しぶりです。自分の思っている松井さんはこんなものではない。もっともっとホームランを打ってください。メジャーでもっともっと敬遠されるバッターになってください。・・・・”(河野より)
・”まだまだ・・・”
まだまだと言ってくれる人がいる。18年前の夏はまだ!!”。あの20球は二人の人生を支えて、心のよりどころ!!。
 2010年02月12日(金)
        ジジの音楽武者修行

     
          〜13年前 怪物スラッガ 5連続敬遠〜
                    55の誇りと 一通の手紙
                        
            
       NO 200

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