2011年 2月14日(月)
  
 
              
                 鍛えられて 育つ
ことの尊とさ
                    〜40年前の本から〜
                         
                                         NO 251

◇石黒先生との出会い
「一期一会」。その一人が故、石黒一郎先生(千葉大学教授「当時」後、名誉教授)。先生とのご縁は習志野市立第一中学校の前任者(石黒門下生)が長期研究生で出られ、その後任として着任(1966年)したことからはじまる。
前任者のお誘いで、先生の門下生のピアノの発表会(小さな芽の会・銀座ヤマハホール)のお手伝いをした。その時”あなただ、・・・さんの後任のジジさんなの・・”と声をかけていただいた。その出会いがジジの音楽教師にとって大きな力を付けていただくことになった。

はじめは、オーケストラの選曲から、アナリーゼの大事さ、アンサンブルの基本・・・指導を受けた。いつも”君は子どもの力を引き出しきっていない・・・邪魔している・・・!!”といつも怒られた。もちろん授業研での”ヘタクソ!・・・俺がやるから見てろ”と言って途中から授業をしていただいたこともあった。
その先生がある時・・・”部活動に熱を入れるのもよいが、ボチボチ教科の勉強にも熱を入れないとね・・・今がその大事な時期と思うがね・・・時期を逃すとなかなか・・・”と話されたのを覚えている。それから間もない話が「教育音楽」掲載のこと。

◇”教育音楽”中学校版に1年間教材研究で掲載しなさい”。と突然のお話してある。毎月原稿用紙18枚を12ケ月間書くこと。”締め切りは毎月15日” ”エ・・!!”の一言で決まり。ことの重大さがわかったのが初回の4月号原稿書きから。自分なりに結構頑張って書いた。それを見て、一言”・・・この程度の事例ならわざわざ本で紹介することも無い!と一葛!。足取りも重く、ご自宅(雑司が谷)から国鉄目白駅まで歩いた。家がとっても遠かった。・・・今度こそ!!と、総武線で向かうが、やっぱりダメ。ある時は、千葉大にも伺った。お仕事の帰りに喫茶店で待ち合わせしたこともある。また厳しい一言。”これって授業でやってきたのか・・・いくら頭で考えても、実践がともなってないものはダメ・・・”。自分の授業をテープにとって、テープ起こしをして授業分析もたくさんやった。

やっとの思いで第一号が1969年(昭和44年)の4月号に掲載された。”ホッ・・”とするのも束の間。次の原稿に・・・・。部活動もあるのに・・・これが1年間続くと考えると・・・・。何度も途中で辞めたいと思った。時々読者の方からのご意見も届く。どれも厳しいご意見ばかり。堪えた。

それでも、勉強の機会を与えていただいた石黒先生の想いを考えるとタダタダ必死にやるしかなかった。後になって鍛えられたことが今日のジジの支えの大きな力の一つになっていることは確か。そんな昔がとても懐かしい。

                       
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◇研究大会が終り、少し気が抜けた。
何気なく本棚を見ていると懐かしい12冊の本が行儀よく並んでいた。
40年目に鍛えていただいた恩師を思い出し、”辛かったな・・でも・・・”と振り返った。また、意識を変えることの難しさも感じた。

日本教育音楽協会編集「教育音楽 中学版」 1月号
昭和45年1月1日発行

40年前に書きました。 
教材:こきりこ(富山県民謡 石井歓編曲