2012年12月31(月)
・・・母のこと・・・

寂しい年の瀬
NO332


◇母のこと
・今年、母が旅たった(2012.2.7 14:48)。享年88歳。昔のこと、盲腸手術の失敗がもとで、幼い頃は病院です過ごすことが多かった母。
・田舎の雑貨屋での生活。1個10円のお菓子を売って2〜3円の儲けの世界。貧乏そのもの。昔は皆、そうであった。中2で離婚。
・高校の授業料の督促は普通。だからといって母に告げることはない・・・。お茶屋(八木茶屋)で初アルバイトもした。
・店に合わせて行商もする母を、高校登校前にお米を自転車に積んで片道8K先まで運ぶ手伝もした。
・進路選択の時に、母の一言”貧乏は自分だけでよい。今からは勉強して大学にはいかなくては・・・!”と。中学校体育館のピアノでロウソクの灯りを頼りにバイエル50番からスタート。その側にはうたた寝している母がいつもいた。
・そして、母は我が家を売って入学金にし、自分も東京で銀行寮の調理師をした。
・母のもとで生まれて、本当に良かった。

◇C調ピアノで生き抜いた
・有斐学舎(熊本県人学生寮)で大学生活。6帖に先輩と二人部屋。夜明けまで語り合ったことも懐かしい。
・母からの仕送りも限りがある。当然、あらゆるバイトをやった。毎日働けて稼ぎもよいことから、クラブやキャバレーのバンドのピアノ弾き。超C調・・・。バンドメンバーの白い目線を気にしながら・・・。
・「フロイデ!」だけを歌えただけで演奏旅行にも連れていってもらい、バイトに明け暮れた大学をやっと卒業。
・就職も一度は郷里熊本に内定があったが、母の近くにと考え東金市にした。
◇寂しい年の瀬
・初就職先は東金女子高等学校(私立)。2度目の就職先が習志野一中。月月火水木金金のB型的強烈な日々。この方法しかなかったのである。”真面目にがんばっていれは必ず道は開ける・・・!!”これが母の口癖。
・お陰さまで、その通りだった。多くの教え子の仲間達や支えて下さった方々に恵まれ生きがいのある日々を送っている。

・それにしても、昨年の今日は母と一緒に”年越し蕎麦”を食べたのに・・・。
なんとなく落ち着かない年の瀬を迎えています。
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・犬童球渓独唱コンクール(高1)優勝
・滝廉太郎音楽コンクール(高2)優勝
・毎日西日本コンクール(高3)優勝
     ピアノ:樋口さん
  「彼女の接吻を」クルティス作曲


  写真(大分県竹田城跡にて)

・2010・7・11 美音の集い

・1978猛練習