2012年12月31日(月)
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母への想い 〜 
                   

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・今年、母が旅たった(2012.2.7 14:48)。享年88歳。昔のこと、盲腸手術の失敗がもとで、幼い頃は病院です過ごす
ことが多かった。
・田舎の雑貨屋での生活。1個売って3〜5円の儲けの世界。貧乏そのもの。皆、そうであった。中2で離婚。
・高校の授業料の督促は普通。だからといって母に告げることはない・・・。
・雑貨屋の前に、行商をする母を高校登校前に手伝ったりもした。
・進路選択の時に、母の一言”貧乏は自分だけでよい。今からは勉強して大学にはいかなくては・・・!”と。中学校体育館のピアノでロウソクの灯りを頼りにバイエル50番からスタート。その側にはうたた寝している母がいつもいた。
・そして、母は我が家を売って入学金にし、自分も東京で銀行寮の調理師をした。

・毎日西日本コンクール(高3)
「彼女の接吻を」クルティス作曲


・母からの仕送りも限りがある。当然あらゆるバイトをやった。毎日働けて稼ぎもよいことから、クラブやキャバレーのバンドのピアノ弾き。超C調・・・。バンドメンバーの白い目線を気にしながら・・・。
・「フロイデ」だけを歌えただけで演奏旅行にも連れていってもらい、やっと大学を卒業。
・就職も一度は郷里熊本に内定があったが、母の近くにと考え東金にした。

・1978猛練習

・2度目の就職先が習志野一中。月月火水木金金のB型的強烈な日々。この方法しかなかったのである。”真面目にがんばっていれは必ず道は開ける・・・!!”これが母の口癖。
・お陰さまで、その通りだった。多くの教え子の仲間達や支えて下さった方々に恵まれ生きがいのある日々を送っている。

・それにしても、昨年の今日は一緒に”年越し蕎麦”を食べたのに・・・。
なんとなく落ち着かない年の瀬を迎えています。

・2010・7・11 美音の集い

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