2025年10月23日(木)
吉野先生とジジとの出会い
大人のオーケストラ誕生の音楽室
NO642
◇ジジが着任した当時の習志野一中(国鉄津田沼駅南口・右上))1966年頃の写真です。左上はニンジン畑、右下は千葉工大)。空き地もたくさんあります。
中央のグランドの右側から左が兵舎総二階建ての校舎。左の一段と大きな建物が講堂。音楽室は玄関入った左の1階。最大で学年10クラス?の時もあった。この広いグランドで公開研究会時にオーケストラ伴奏でアルト笛の全校音楽を披露し、話題になったこともあった。
◇吉野市長さとの出会い(1)~夢~
・ジジの座右の銘”一期一会”。ジジの生涯において吉野先生との出会いは何事にも代えがたい存在の方。習志野一中が旧校舎(JR津田沼南口・現在のモリシア)で出逢ったのが最初。エレクトーンでオーボエやファゴットのパートを担当。ベニア板で歴史を感じる鈴木の弦楽器。ヴァイオリンでも4分の三も数本あった。弓は毛と弓が並行状態。ホルンは凹みがるメロホルン,クラリットはプラスチック製・・・といった具合。でも、不思議なことにボロボロ?(チョット言い過ぎかな・)の楽器でも、全く何の違和感もなくこれが普通だと思っていた。
・そんなある日、吉野市長さんがお見えになったのが最初。それから時々練習を見に来られるよになった。この出会いが今日のジジの人生が身に余るほど豊かに過ごさせていただくことに繋がるとは夢にも想わなかった。
◇大人のオーケストラの誕生
・しばらくして、市役所の服部さんが見えて、”吉野市長の命を受けて、習志野市に大人のオーケストラをつくることになった。練習場は音楽室を借りたい・・”とのこと。まもなくして習志野フィルハーモニー管弦楽団(習フィル)の誕生となる。最初の指揮者は高橋正夫先生(習一中の音楽の先生でもり、習フィル初代のオケの指導者・後、上野学園音楽大学教授)。メンバーもそんなに多くもなかったようだが、兵舎利用で音楽室の真ん中に柱が2本?の教室で習フィルの結団式をやった。何故か、ジジも会場校の音楽教師として末席に座っていた。指揮者もその後、伴 有雄(元・群馬交響楽団指揮者)に引き継がれ、現在106回めの定期転送会を12月に行う。アマチュアオーケストラとして活躍中。
          ▲トップヘ   ■バックヘ