2006年3月27日(月) ジジの音楽武者修行 スクールーオーケストラとそのヴァリエーション 夢はパイロットでした。 NO 48 |
見事に鮮やかな菜の花
九十九里浜にて
成田空港近くの”さくらの丘”にて
春休みに入り、薄いピンク色の桜のつぼみが一斉に膨らみました。近所にはハクモクレン(白木蓮)が見事です。九十九里浜の道路わきには鮮やかな彩りの菜の花にパチリ。
成田空港のすぐ側に”さくらの丘”という新しい小高い丘があります。飛行コースの真下。ゴーンという物凄いエンジン音とともに現れたジャンボ。ここでも愛用のカメディアC−740(オリンパス)でパチリ。
久々のリラクゼーションタイムでした。
ジジの夢はパイロットだったのです。
小さいころからゴム動力の飛行機をよくつくった。プロペラ・金具と角棒はパーツで買うが、竹ヒゴは手づくり。竹ヒゴをロウソクで曲げながらカーブを調整し翼をつくる。主翼と尾翼の微妙な角度と重心の調整がポイント。結構よく飛ぶと周囲にも評判。中学時代は本気でパイロットになりたくて、熊本電波高校の受験を考えたくらい。でも高校とジジとの偏差値トラブルにより墜落。やむなく普通高校に進み、音楽との縁が生まれて今日に至っている。
しかし、、少年時代のパイロットを夢見ていたジジとしては、今日がそうであるように飛行機を見ると気分が高揚するのを憶えます。
パイロット病が再発したのがウィーン演奏旅行が計画され始めたころ。今度はチョットお金がかかった。ラジコンにはまってしまったのである。小さいのから始めたが次第にエスカレートしていく。現在ジジの部屋でいつでも飛べるようにスタンバイしているのが最後の機。
主翼1u40cm・胴長1m20cm・エンジンはENYA60.・・・といった機体で結構のもの。無線関係だけで10数万円位(当時)。飛行機は胴体を除いて全部手づくり。完成まで3ケ月〜4ケ月は費やした。もちろんデザインから塗装まで・・・。飛行機づくりは湿気を避けて秋頃が最適。塗装用のコンプレッサーは技術科室のを借用。教室中アルコールやベンゼンの臭いで充満させ生徒に迷惑をかけたこともあった。
完成したら毎日手入れをし、早く飛ばしたくてムズムズ・・・。なんとかかんとか理由をつけて時間休をもらって袖ヶ浦の埋立地の滑走路に行く。(普段は休まないことを美徳としていたジジだが・・・。)
滞空時間は6分前後。この時間の緊張がなんとも言えない。全てを忘れて集中しないと大変なことになる。両手の親指のミリ単位のミスが一瞬にしてパーになる。大損失に直結するから。金額にこともあるが数ケ月かけてつくった愛機を失ったことのショックの方が最も大きい。だから必死 必死そして必死・・・。墜落させようもなら数日食事も進まない状態。残念ながらこの思いを数回した。
この必死さというか緊張感。それにコントロールすることの快感が超タマラナイ・・・!!
真円・背面・フォポイントロールができるようになるまでには時間とお金を随分費やしたもの。程度のよい中古車は買えたかもしれないが・・・・・・。
埋め立て地に建設工事がはじまり飛行場の確保ができなくなり、やむなくパイロットを辞めることになった。その時の最後の愛機が今でも、ジジの部屋で翼を休めています。
成田空港で頻繁に飛び立つ各国の飛行機を見ていたら、ジジの夢を思い出しました。
指揮者とパイロットってにてませんか・・・・・・・・!!。