2006年6月28日(水)
        ジジの音楽武者修行
     
      スクールーオーケストラと
                   そのヴァリエーション

      
  
〜27年前の名場面・名演奏が、ついにDVD・CD
               
世話になった田久保君への感謝を込めて〜
                                               NO 61

このページでも度々話題にしていること。"我が青春に悔いなし!!”と一方的に思っているジジですが・・・。またまたビックリです。27年前の「第4回ウイーン青少年音楽祭」に参加したときの名演奏とその時の映像がついにCD・DVDとして再現されたのです。

これを企画・制作してくれたのが田久保裕一君です。彼は何を隠そう音楽帳2005・8・17NO23"未完成交響曲」の初演を指揮したのは1年生の部員だった・・・”のが彼のこと。この話からも想像がつくように、彼はジジと出会った時から"只者ではない・・・!!”の存在であった。中1の時からすでに、目立っていた。人を引き付ける魅力、音楽的にもキラリとした何かを感じさせるものがあった。もちろん、チェロのテクニックやその表現力も優れていた。とにかく、人より秀でていたのである。

彼が習志野一中オケで得意プロになる「未完成交響曲」の初練習の指揮をしたのも偶然のできごとではないように思う。彼はウイーンにいった時が大学生であったが、ジジのアシスタントコンダクターとして大変世話になった。

彼はウイーンでも大活躍してくれた。世界27ケ国のオーケストラが集まると何かとインタヴューやパーティーもあった。チョットした交渉ごとも出てくる。その時に困るのが会話である。
熊本弁のなまりが消えていないジジとしては、極めて不得意なところ・・・。そこで登場するのが彼である。彼の語学力?の程度は不明であるが、ともかく臆するとこもなく交渉人を引き受けてくれた。

ウイーン市庁舎の前でオープニングセレモニー「指揮 トラック教授」の時の話し。セレモニー終了後のこと。広場では各国の演奏がフリーな形で自然というか、即興的にはじまった。”さすが・・・”と関心しながらジジ達は楽器もあらかた片付けた。ところが突然のこと。”次は日本です・・。”エ・・!!”。楽器は無いし、”それでは歌を・・・とのこと。何せ、準備期間まで入れると2年近くは歌のプログラムなど考えていなかった。
そこでまた、田久保君に助けられた。
即 決断!!。” さくらさくら”にしよう。彼が103名の団員に”メロディー・オブリガートそしてバスは・・・・”と手早く告げる。練習なしで”セーノ”で・・・・・・。
たくさんの拍手に胸を撫で下ろしたジジでした。

その彼は、今日28日(水)にウイーンに飛び立っていった。今度は彼の音楽の仲間と共に・・・。

    ウィーンの思い出
      1978.7.4〜7.16
        27年ぶりの再会
        2006年1月7日

映像でつづる青春のメモリーです。
 1部 27年前のウイーン
 2部 2006年1月7日習一中音楽室で
                現役との合同演奏

 
3部 レセプション風景

    千葉県佐原の香取神宮です

若葉に包まれ、敷き詰められた砂利石を踏みながら参堂を歩きます。人影も少なく、オゾンを満喫し、とても落ち着いた空間を愉しみました。

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