2006年8月5日(土) ジジの音楽武者修行 スクールーオーケストラと そのヴァリエーション 38年ぶりの再会に感動・・・!! 兵舎利用の校舎の思い出 NO 66 |
突然のメール”僕はHです。僕憶えていますか・・・・。 (中略) 8月3日夕方6:00 JR船橋駅近くの月の宴で待ってます”とのこと。
H君は38年前の教え子で管弦楽部長をしていた。ジジが習志野一中に着任した年。そのときの一年生部員たちが集まるとのこと。
当日チョットはやく指定の店に行った。店員さんから”どなた様でしょうか・・・?”。H君をはじめ心あたりの名前を言っても予約に該当がない。”それでは 少し待たせてもらいます・・・”と話しをしている時に”あら 先生!!”と声がした。直ぐに名前が出た。ヴァイオリンのオシゲ ミチコ トヨサン・・・・・・。もちろん チューバのホリクンも・・・・・。
”予約は誰の名前なの”。”私・・・・・・です。” そこで一言”こんな時は旧姓で申し込むものなの”。
と一方的な話し。
遅れてクラリネットのトミサンも到着。38年ぶりの再会を祝して声高らかに”カンパーイ!!”。
38年前といえばジジと一回りチョット違う年齢。ということは エ・・!! ・・・歳なの”
”ウッソウー・・・” という本当の話し。 最後の言葉は決まって”先生 若いですね 全然変わらない・・・・・姿勢はいいし・・・”。
うれしい気持ちもあるが、この褒め言葉は・・・・・と真剣に考えると眠れなくなりそう言葉でもある。
でも、とってもうれしい。ジジが20歳半ばのころのメンバーたち。
兵舎利用の音楽室には柱が3本あり、ダルマストーブの煙突掃除が大変だったこと。給食は脱脂粉乳とチョット太めで長いコッペパン。廊下は静かに歩けと言われても特に階段はギシギシときしむ音がする。この音は宿直の時は結構怖いものがあった・・・。
80メートル(各学年11クラスの直線の教室はもちろん兵舎利用)近い直線の廊下掃除は結構楽しかった。磨けば磨くほど光ってくるのである。時には米ぬかも使って磨いた。クラス単位で競争もした。
廊下の天井には「光る廊下は心の鏡」と先輩の先生が書いて吊るしたのを鮮明に覚えている。
ジジが生徒達と笑談してい時である。学年主任の川口先生から「ジジさん あなたは先生ですかそれとも生徒ですか・・・」と指導を受けた。
用務員さんの部屋では、寒いときなどは美味しい味噌汁をつくってもらった「もちろん公然の内緒で)・・・・・・・・。
クラリネットのトミさんは昭和42年頃にクリスタルのマウスピース(セルマー)を特別に買ったほど。ヴァイオリンは彼等が2年生になってからヴィブラートの練習をしたとか。一年の時のコンクール曲は「キューピーの観兵式」(リベリ作曲)。冒頭のトランペットのソロはクラリネットのトミサンのお兄さん(「当時3年生)。セカンドヴァイオリンは一年間”ンパ ンパ”の後打ちで終わったとか・・・・・・・・・。2年か3年で「金と銀」(レハール作曲)も演奏した。
彼らと話していると38年前にタイムスリップしてしまい、次から次と当時の様々な情景が走馬灯のように思い出された素敵な一時でした。
38年ぶりの再会に感動したジジです。
戸隠の山
中社の手前から白馬に向かって左にはいる。曲がりくねった細い道を登りついたことろに見晴台がある。右に戸隠山 正面の深い谷の手前に鬼無里、遥か遠くに白馬。
飯綱の音楽堂
この季節になると、思い出されるのが飯綱。この音楽堂で辻 久子さん、 秋山和慶氏をはじめ、多くの音楽家との出会いがあった。また、数多くの子ども達や支えてくださった方々との思い出がギッシリ詰まっているところ。