2007年8月16日(木) ジジの音楽武者修行 スクールーオーケストラと そのヴァリエーション ついに、100回記念・・・!! 〜よくぞここまで来たもんだ〜 感謝の気持でいっぱいです。 NO 100 |
思えば100回までよくぞ来たもんだ。そもそも、「音楽武者修行」などと大それたネーミングをしたのも無手勝流のジジなればこそ。
当時、若干ロン毛。天然パーマであり、もじゃもじゃ頭のヘヤースタイル(雨が近いと左右に跳ねまくる状態・・・)。俗称”天パー・・・”。自己流指揮法の絶調時・・・・。練習に熱が入ると、汗ビッショリになる。益々髪の毛は乱れ爆発状態の頭。その時のヘヤスタイルとその指揮振り?を”小澤征爾さんと似てるネ・・・”。と褒められ益々調子こいているジジ。
そのころ小澤征爾さんが、初めて中国のオーケストラでブラームスNO1の練習風景から本番までのドキュメント番組が放送され感銘を受けたこともジャストタイミング・・・。”かっこいい・・・。その雰囲気(服装?)に共鳴してか・・・????。学校はもちろん、コンクール(TBSこども音楽コンクールの司会は山本アナウンサー)での指揮服はいつもニュールックのつもり?。下はジーパン。それもパッチワークやパンタロン・・・。上着はジャッキーチェンではないが、たて襟の漢風ルック?。といった具合でチョットお洒落のつもり(本人だけは・・・)。その格好は当分続くことになる・・。
その指揮服が変わったのは、第4回ウィーン音楽祭青少年(1978年)への参加が決まった数年前から。”世界の常識、ジジに非常識・・・”といったところ・・・。
派遣(ウィーン)が決まり、指揮服のオーダーのとき。”燕尾服を・・”と御願いしたら・・・。却下!!。
そこではじめて指揮服として着用したのが、上下紺色(紺といってもチョット明るめのなかなかの色・・・)ダブルと夏用の上白シングルの2着を用意。生まれて初めて採寸したオーダーメイド。チョットだけリッチな気分。さすが仕立て屋さん、結構振りやすかった。(現在も大事にしています。)
でも学校では、相変わらずジーンズ。それも42歳になり、当時の校長さんから、管理職の道を薦められキッパリとジーンズをやめてネクタイに急変身した。
それに比べて、最近の先生方の指揮もとてもスマートで上手。指揮服も黒・紺系が多く、男性は蝶ネクタイも多い。
客席から見ていても気分がよい。昔のこととはいえ、ジジの格好悪さは反省しきり・・・・すでにあとの祭り・・・。
しかしながら、初任から40歳位までの音楽一筋の時代がとても懐かしい。この間の生徒達との様々なドラマはジジの宝である。彼らとの出会いで学んだことが、今尚音楽を通して多くの人との出会いがあることがとても幸せである。そして、現在の自分自身の生き方に大きな支えになっている。多くの教え子達に”ありがとう・・・”という感謝の気持でいっぱいである。その素晴らしい彼らが今年も34年ぶりの再会の機会をつくってくれた。これも言葉に言い尽くせない感激の一時であった。
それらのドラマに我が青春の想いを重ねながら、「ジジの音楽武者修行」として命名し、No100にまで至ったことに自我自讃状態のジジでもあります。
それにしても辛抱強く、”またか・・・・”と飽きれながらもお付き合いいただいた方々に心から感謝申し上げる次第であります。時代錯誤もはなはだしいと怒られながらも・・・。しかしながら、B型のジジの性格はこの年になっては変わりそうにありません。
ジジ君は来客(ネコアレルギー)のため、一泊二日のホテル行き。迎えにいったら機嫌が悪く無愛想です。普段だったら”ジジ君〜〜”といえば、表情で答えるのですが、何度声をかけてもお尻リ向けて寄り付きません・・・・。でも一晩過ぎたらようやく普段に戻りました。これも連日の猛暑(酷暑)でジジ君の方が根負けしたのかもしれませんが・・・・・。いつもの調子に戻り、安心したのか可愛い格好で昼寝の最中のジジ君です。
今後ともよろしくお願いします。
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