2009年03月13日(金)
        ジジの音楽武者修行
     
      スクールーオーケストラと そのヴァリエーション
                 
                  ”富士・はやぶさ”ラストラン
                    〜夢と希望を運んだ〜        

                                       
 NO 159
また、消えた・・・”富士・はやぶさ号”・・・!!。 高度成長を支えてきた団塊世代の人々にとって貴重な思い出がまた消えた。ラストランが今日夕刻6時過ぎに九州に向かって旅たった。
定員320名のラストランの切符は10秒で売り切れ・・・。鉄道ファンは早朝から並び、その数3千人を越すとか・・・。
半世紀を走り続けたブルートレイン。どれだけ多くの夢を運んでくれたことであろうか・・・。

”いろんなことが便利になり・・・無くなってくいのは寂しいです・・・・・”と。”私もこの列車でふるさとを後にしました・・・”と 感 極まった感じでニュースを締めくくったNHKのアナウサー。
ジジも同じ想い。
九州は熊本、熊襲で名高い球磨川の上流である人吉からはじめて東京に出てきたのが中学2年(1957年)のころ。
当時は、人吉から1時間半かけて熊本へ。そして乗り継ぐのが”急行阿蘇号”。蒸気機関車で鼻の穴まで黒し、客車の通路や座席の下に新聞紙を敷いて雑魚寝したことが信じられない昔し話し・・・・。
目が覚めると、”ポー”から”ピー”に汽笛も変わっている。いつの間にか電気機関車に変わっていた・・・。思いっきり窓を開け、右側に時折見せる瀬戸内海に歓声をあげたもの。
それから少しグレードアップして、阿蘇号の寝台車を利用。それも一番安い最上段(3段中)・・・。その次が、アルバイトも手伝い多少リッチになって、憧れのブルートレイン”はやぶさ”に乗ることが
”カタ コトン”とレールの響きを聴きながら、ふるさとへの思いをめぐらせた日々はとても懐かしい。
その思い出が、また、ひとつ姿を消した・・・・。

        
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