2010年11月30日(火) 〜小さな ひとり言〜 雑 感 ”先生が変われば 子どもと変わる・・!!” NO 241 |
スポーツの秋、食欲の秋、読書の秋・・・。そして、研究会・・・。それにしても全国各地で様々な研究会が盛んに行われている。極めて多忙な中、熱心に参加されている先生方には頭が下がるおもいで一杯である。
全日空(全日勤務が無く休日)のジジも、公開研修会等にはにチョコチョコ足を運ぶことにしている。それは過去の無手勝流による強烈な教師指導型の反省や、後期高齢者でありながら熱き想いをもった先生方に数多く接していられる幸せと責任等から・・。先生方と一緒に勉強させてもらい、厳しいとこではあるが、学ぶことの楽しさを共有でしきるにチョッと魅力を感じているからだろうか・・(遅すぎるよ・とお叱りをうけそうですが・・・)。
しかしながら、公開研究会を開催することは容易ではないことは経験知からもよくわかるっている。”総論は賛成だが各論になると・・・”。これが正直なところだろう。
・・・・スタートの時には何かと苦労も多いが、公開が近くになると自然と一体感が生まれてくる。そして達成感を共有し、振り返ってみると、そこには子どもの笑顔が一杯であることに気が付く。辛かったけど、やってよかった・・・!!。・・・・とある研究会の反省会での会話である。
”教師が変われが子どもが変わる”と言われて久しい。
そこで、失礼ながら自戒を含め、更なる期待を込めて雑感をいくつか・・・。、”お前!!”とお叱りをうけそうですが。もちろんそうでない学校の方が多いことは知ってのこと。
・音楽科が教科として存在する意義はどこに・・・・
「心の教育」が叫ばれながら、国は「読み」「書き」「ソロバン」に「語学」といった方向に加速している。”美的情操の陶冶”の意味について先輩から話されたことが懐かしい。更には、現職がこの意味や価値をチョッと認識するだけで授業授業は随分変わる。
・減らされる音楽担当
時代の要請からも研修の充実が求められるのは当然こと。通常は校内で一名。大規模校(中学校)で2名。2名はまれなこと。特に小学校では専科(加配教員)なら一人。小学校で音楽専科制をとっている割合は少ないようだ。むしろ、近隣の市でも、音楽専科を少人数とか英語指導へ・・・との話も耳にする。でも、なにをもって音楽専科と言うの・・・?それは中学校だって同じこと?
・一人ボッチの教員の悩み
授業、部活動、会議、教育相談・・・。土曜休業により益々多忙化する日々。”教材研究を・・”と思ってもなかなか思うようにいかない。勉強しようと考えても、音楽科の仲間はそうはいない。よほど覚悟を決めないと研修会等には足が向かない。悩みつつも結局は一人で・・・。
・殺伐とした音楽室
経験主義的な指導をから逸脱できず、置いてきぼりされている子ども達。”わかったな・・・”の連発。音楽室の殺風景さは”チョッとどうにかしてよ・・・情操教育といっているでしょう・・・・”。特に、中学校は厳しいのもを見ることが多いようだ。先生方の服装にもチョッとお洒落気分がほしい・・・。先生は子ども達の憧れであるはず。
・一曲大曲
特に、中学校。合唱コクールの意義は経験的にも認める。但し、35〜45時間の中で、歌唱、器楽、創作、鑑賞を扱わなければならない。それなのに秋の合唱コンクールが終わったら、次年度の選曲に入り・・・・といって話も少なくないようである(極端デスミマセン)。
小学校でも、名称はともかくとして、イベント的音楽科なところがあるやに耳にする。やらないより、全校でやれるのだから・・・・といった安易な問題では全く無いと思う。学力が問われている今日。指導計画をしっかり立てておかなくてはなりません。説明責任はどうなりますか。
・部活動顧問をやりたがらない
昔、校長さんから”ジジさんは部活動で大変だから、担任を外れたら・・・”という温かい言葉をいただいた。もちろん断った。今まで以上に意地になり学級経営に励んだことを思いだす。部活動で生徒達とのやり取りで失敗もたくさんした。でも、感動もたくさんもらって。貴重な経験もたくさんした。お互いに大きく成長したように思う・・・。それが、今なお後期高齢者になっても繋がりをもたせてもらっていることがどんなに幸せなことであろうかと思う(B型的一法的な満足と笑われますが・・・)。
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