2013年9月14日(土) ・・・子どもの可能性は偉大なり・・・ 指揮の大切さ NO367 |
◇ようやく夏休みに入り、久々に草花の手入れをしているジジ。今日から2回の三連休は最高。それにしても、我ながら酷暑の中、何やかやと結構多忙だったこの夏。アチコチと出没し”アラッ・・!”と声をかけられることも。顔なじみの仲間と出会うのも楽しみの一つの研修会やコンクール会場。時には、呼ばれもしないのに”・・取材です・・・”称して、勝手におしかけていくことも度々。
・でも、さすが今年の夏は歳を感じた。チョッと前(!?)までは一日練習しても晩飯のビール一杯で復活。しかし、今年は違う。午前中2時間練習しただけで”モウ〜駄目・・・!”状態。体力もそうだが、記憶力が極端に落ちた。というより、楽譜が憶えられない。これは結構ショック・・・!
・特に、近年、合唱曲もうそうであるように器楽曲も大曲にやたら挑戦していることが多い。曲名を聞いただけで”ムリムリ・・”と思って出向いていくと、これが結構”様”になっているからビックリ。
・ただ、少し残念なのは・・・。いい演奏することには指揮のセンスも含め様々な資質が求められる厳しいもの・・・。最近特に感じるのは、例えば、テクニック的にハードルが高すぎる選曲と、楽曲に対するアナリーゼ不足を感じる演奏が多いように感じる。合唱では、”歌詞の意味をよく考えて・・・”とか”メッセージを伝えて・・・”とはよく耳にするが・・・。句読点、文節から、イントネーション・・・等の表現に”もう少し・・”と、感じる演奏もある。
・これは、器楽曲についても同じこと。歌詞が無いだけ、さらに深い楽曲分析が必要になってくる。そうでないとメリハリの無い演奏になってしまう・・・。
・”偉そうに・・・?”と言われのは承知のこと。これらのことに一層深く気がついたのも現役引退後かな。それも、作曲家や指揮者・合唱指導者に出会うことが多くなったことが大きい。
・”指揮が下手・・・!君の背中に音楽が感じられない・・・子どもの音楽性を邪魔している・・!!”とか”その演奏じゃ作曲家に失礼だ・・・もっと楽譜を読み込め”等々・・・と、恩師に指導されたことが今になってようやく分かったような気もする。
・・・それにしても、今の子ども達はよく演奏する。彼等の可能性は凄いと思う。もちろん指導させている先生方の指導力の高さは言うまでもなが・・(生徒指導を含め)。だからこそ、指揮者の責任は大きいと思うことが多い。