2013年12月16日(月)
・・・吉野 孝先生を偲んで・・・

教育に夢を託された偉大な先生
NO379

・吉野 孝先生が旅立たれました。私が習志野市長吉野 孝先生にお会いしたのは、兵舎利用の旧習志野第一中学校音楽室(1969年)。当時、高橋正夫氏を指揮者に迎え、小学生を含め総勢16名で習志野フィルハーモニー管弦楽団を立ち上げられたた時。それから、ズッ^〜と言葉では言い尽くせないほどたくさんお世話になりました。吉野先生は国立音大の作曲を学ばれたこともあり、音楽にも造詣がとても深く、大変面倒を見ていただいた。
・コンクールで全国優勝を重ねる度に、寄付等を集めて高額の楽器を購入してもらった。ウィーンに演奏旅行も連れて行っもらった。長野県飯綱山に音楽の森を作られ、そこで合宿のした。
・現在の習志野一中の音楽室の天井が特別高く、当時、超贅沢な冷暖房の広い音楽堂もつくってもらった。お仕事の合間に音楽堂に足を運び、練習を覗かれるのが度々あった。
・夏の暑い日の夕方、全国コンクール用の録音を撮っていたら、道路工事の音が入り、吉野先生に”この工事どうにかなりませんか・・・”と電話したら、20分位で工事が中止になった。この年も全国優勝して”ホッ”としたこともあった。
・秋山和慶・伴 有雄・小林研一郎(指揮者)、花房春美・深沢亮子・館野 泉(ピアニスト)、辻久子(ヴァイオリンニスト)・音楽家や詩人、画家、切り絵作家、陶芸家・・・多数の芸術家との共演や出会いの縁があったのも吉野先生のお蔭です。後々の豊かな人生を過ごしている糧となっている。

美食家の先生には、八幡の焼き鳥屋、浅草の並木蕎麦、墨田の天ぷら、秋葉原のカツ、上野のおでん屋、
浅草橋のシシ鍋、市川の割烹・・・長野の寿司、飯坂の鰻・・・等連れていってもらった。”美味しい店探した、行こう・・”とよく声もかけてもらった。市長室の会議室でご馳走になった酒は日本酒の美味しさに芽生えた。

・私が某小学校長の時、NHKで全国放送された大事件が起こされた。その時も、マスコミの対応等について的確に示唆をいただき、無事難を逃れたのも吉野先生のお蔭です。
・習志野市長として、「習志野市文教住宅都市憲章」制定(昭45年)し、教育の町としていち早く宣言されたのが現在の習志野市のまちづくりの基本となっている。また、昭53年にパイプオルガン付き習志野文化ホールをつくられたのところにも、魅力的な政治家であったと思う。
・吉野先生の心に残るお言葉「政治家にとって国からお金をもってきて、建物をつくることはそんなに難しいことではない。人を育てることはとても重要です・・・。私ができないことを子ども達や先生方に夢を託しているのです」と。

・先生と一緒に過ごした充実した日々は多くの仲間にとってこの上なく幸せでした。
   ・吉野孝先生に出会ったたくさんの仲間達と一緒に心より哀悼の誠を捧げます。
                       ありがとうございました。

           
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