〜一歳を迎えたジジです。〜 ちょっとリニューアル
今年もよろしくお願いします。
”ジジの音楽教育情報”も昨年の1月15日にアップして1年目を迎えました。その間、クリエイター遠山有子さんを筆頭に多くの方々に応援していただきました。心より感謝しております。
さて、2歳の誕生日を機会に少しリニューアルしました。「ジジの音楽帳」がその一つです。内容も余り肩に力を入れすぎないで”とはいってもB型 水瓶座では?・・・。”と考えています。30数年の音楽教職経験から得たものを重ねながら、"音楽教育の今と昔”といったスタンスのページです。昔の者が今更!”とお思いでしょうが自由に意見交換ができれば幸いです。
よってタイトルは
ジジの音楽武者修行
その1
〜自己紹介から〜
ちょっと一息。。。 |
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街の絵書きさんに はじめまして
お願いしました 僕が”ジジ”です |
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1 ジジの理由
・我が家に7歳のクロネコ(チョット肥満・初老のダン デイー?・一様アメショウです)がいます。
・2歳5ケ月の孫(ジジと呼ばれて目じりが下がりっ ぱなし・・・。)が可愛くて!
・魔女の宅急便に登場のクロネコ”ジジ”が音楽教育 情報を宅配できれば・・・と。
2 産湯の地
九州は熊本。熊本といっても鹿児島と宮崎県と境界 を接し、熊本県最南端の街,人吉。山また山が連なる九州山地をくぐりねけると突然澄み切った空が広がる。人吉は母なる川と球磨川下り・温泉、それに”旅愁、故郷の廃家”の作詞者犬童球渓の生誕の地。相良犯700年の歴史が今も息づく九州の小京都 −人吉市のホームページよりー
この街の近く(現在錦町)で産湯をいただいた。
バス停を兼ねた田舎の小さな万屋。動物好きはもちろんのこと、近所に捨てられたイヌやネコがいつも複数いた。でも,すぐにもらわれていった。
日本3大急流の一つ球磨川で泳ぎを鍛え、若鮎?の泳ぎのフォームは別として、結構早かった
3 中古ハーモニカから〜「彼女の接吻」まで
小学校5年、女の子集団の器楽バンドに中古ハーモニカ片手に男一人で入部。随分、からかわれた。でも、これが縁で今日の自分があるように思う。本格的に音楽に目覚めたのは人吉高校から。
合唱部に入部。顧問の山田寅治先生に進められ独唱(テノール)にも挑戦。犬童球渓顕彰音楽祭・滝 廉太郎音楽コンクール(大分県武田城跡)・西日本毎日コンクールに参加。結構入賞しました。
「君に告げてよ」「彼女の接吻を」「星は光ぬ」系・・・・と言った曲を多く歌いました。高校生にしては随分な曲。楽譜は東京の本郷三丁目にある「アカデミヤ」に直接オーダー。外国製ピース版でけっして上等とは思えない厚紙、少しザラザラした感触がたまらなく好きでこの楽譜を持っているだけでうまく歌えるなったようなった気分がした。
高2の進路指導のとき。担任の梶山先生(バリバリの体育)の一言。"石橋、お前は通知表で音楽が一番良いから音楽に進め”。それから、苦手なピアノ、ソルフェージュ等のレッスン通い。自宅にピアノがないので、中学校体育館のピアノを借りて夜練習に通う。ある時、中学校から"電気料がかかるので・・・”と。無理のないこと。それからはローソクを頼りにバイエル50番?から猛練習の日々。
先輩を頼り、夏と冬2回武蔵野音大の講習に通う。修学旅行は講習と重なり不参加。人吉から熊本で急行”阿蘇”に乗り換え東京まで約20数時間。夜は床に新聞紙を敷いて眠り、顔が蒸気機関車のすすで汚れたことも今となっては懐かしい。寝台車で帰るようになったのは武蔵野音大入学後の話し。
我が母校人吉高校の先輩はなぜか武蔵野音大生が多く、順番に後輩の面倒をみることになっていよって私も当然のようにお世話になり、また、世話をすることになる。
=その2につづく=
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