2005年12月15日(木)
号外
    ご無沙汰しています
       皆さんも お元気のことと思います 
                        僕も元気です。


                          NO 38

   X’マス気分のジジ           とっても寒いです

最近の冷え込みが厳しいのにはどうにもこうにもニャンリマセン・・・・。温風機やエアコンのスイッチが”ピピ・・とかカチッ”と鳴れば速攻でベストポジションを確保します。でもコタツはチョット困ることがあります。まず布団をくぐって中に入るのがどうしてもできないので・・・。ですから少しでも開けてもらわない限り布団に寄り添って暖まるしかありません。家族が外出する時や休むときは必ず布団の端を少し開けてくれています。
運良くコタツに入れたとしても困ることがもう一つあります。
我が家はジジを含め高齢の家族ですから、温度設定がやたら高いことです。ですから、”いい気持ちだな・・”と思えるのは大きな足が入ってくるまで。すぐに”カチカチ山”・・・・・。その点 温風機やエアコンはグッドです。僕が自由に移動すればすむことですから・・・・。

夜寝静まったころ、ジジの様子を見にいきます。すると布団の中から手が出できて、ジジがジジを布団の中に入れようとします。

その訳を聞くと
”猫は布団の中は温たかいので大好きだし、布団からチョットだけ顔を出して一緒に寝るところはとても愛嬌があり、またジジもとっても温まるものだ・・・”。
”ご主人様の湯たんぽ変わりになるのは昔から決まっている!!・・。それなのにジジはどうして入らんのか・・・・・。”

という話が聞こえてくるがジジは絶対にイヤ!!・・。

でも、努力の結果一つだけ今年になってようやくできるようなったことがあります。それは、ジジがコタツで胡座をかいているところにスッポリ入り込んでしまうことです。最初はチョット抵抗がありましたが、これが結構温かく、その上ジジが何かと話かけながらやさしく撫でてくれるのが気にいってます。ですから今では癖になり、ジジがコタツに入ると僕から催促します。 ”ねーねー・・・”

師走を向かえ、エステに行ってきました。その時やさしいお姉さんがバンダナを付けてくれました。エステといっても最近は僕達ネコチャンをやってもらえるところが少なくなりました。でも僕はお行儀がよいので某イオンのペットショップでは”ジジです。”というとOK。

               公認血統書より
    猫種  Amercan  Shoythair
    性別  Male
    目色  Gold
    毛色  Black smopke
         1997.7.1生れ    ニ男(4人兄弟)

8歳ともなれが、ボチボチ年齢のことも気になります。若干肥満に近いジジとしては朝の運動は欠かせません。最近は寒さが身にしみるときが多くなりました。僕のお気に入りスポットは花壇の一枚の板の上です。風が無く、日当たりがよくとっても気にいっているところです。


今年もあと僅か。もう少しです。
            カゼを引かないように・・・・・。
            

                  ジジ君の近況でした。
  
           
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2005年12月10日(土)
スクール オーケストラと
         そのヴァリエーション”
   その21

            
一通の手紙
       
〜第四回ウィーン青少年音楽祭のこと@〜
                    
                          
NO37

              幕張新都心テクノガーデンの中庭

久々にライオンの黒ビールでも飲もうか・・・・”と幕張新都心はテクノガーデンに行きました。
6時過ぎだったのですが、地下駐車場からでていきなり眼に飛び込んできたのが上の光景。思わず”ワー綺麗・・・・・・!!”
テクノガーデン中庭のイルミネーションです。突然現れたファンタジックな世界に一瞬息を飲んでしまったジジ。
昼間の雑多なことを一瞬でも忘れさせる、素敵な空間でした。


                  
同窓会の案内状

「皆さん,如何お過ごしでしょうか?」
[突然のお手紙で失礼いたします。」
「私たちがウィーンにて行なわれた第四回青少年音楽祭から早いものでもう27年流れました・・・・・・・・」                 
            
               2006年ウィーン同窓会実行委員会より

今年の8月に数名のウィーンメンバーと久々に楽しい一時を過ごした(武者修行9月30日付け参照)。確かに、”集まれるといいね・・”という話は出たがまさか「同窓会のご案内」という形で運んでいるとは思っていなかった。
田久保裕一君(プロ指揮者・同窓会実行委員長)を筆頭に企画してくれている”同じ釜の飯仲間”に心より感謝をしている。

              
青少年音楽親善団として

1978年7月に新東京国際(成田)空港(この年が成田国際空港開港の年)から第4回ウィーン青少年音楽祭に参加したときのメンバーによる同窓会。
ウィーン派遣の発端は、連続日本一位のご褒美として、また音楽青少年親善団(内閣総理大臣の親書をもって)としての参加。この機会を与えて下さったのが当時の吉野 孝習志野市長さんでした。

                  
 選抜で・・・・

3年前から準備にかかったが、予算等の関係から当初”派遣団の人数は60名〜70名前後にしよう”ということでスタートした。選抜で編成することになる。
365日朝から晩まで、”月月火水木金金”の練習を必死で頑張っている子ども達。派遣費用の足しにと廃品回収も暗くなるまで全員でやった。派遣が正式に決定されれば、なおさらコンクールでも全国優勝しなければならない・・・・等など
誰が選ばれるか全く不明。それでも生徒達は毎日必死に頑張っている。
上手下手は別にして、選抜はどうしてもジジにはできなかった。

            
  総勢101名の派遣団

吉野市長さんにお願いして、決定当時の在校生(派遣時は高校生)
を含めて総勢101名の大編成で派遣団を結成したのである。コンペティシヨン
の部門では27ケ国中,第四位で帰国した。
 
               
そして、同窓会の日

その時のメンバーと
    2006年1月7日(土)15:00 習志野一中音楽室集合
      ☆ 現役と一緒に合同?練習の企画も・・・・

教師冥利というか、神様が素敵な仲間に出会わせていただいたことに心から感謝をしているジジです。

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2005年12月3日(土)
スクール オーケストラと
         そのヴァリエーション”
   その20

      
         感動した見事な
                心のハーモニー

                    
                          
NO36

  千葉県御宿町”月の砂漠”        九十九里浜

今日はとっても気分が良い。久々に感動している。いつになく気持ちの高ぶりを感じているジジです。

              
チョット変わった要請                 
 その訳。
今日、千葉県八千代市立村上東中学校の合唱コンクールに招かれた。昨年に引き続き2年目である。昨年もそうであったが、
音楽担当の熊谷先生から”コンクールの指導をお願いしたい。ついては、本番の10日前にリハーサルと称して全校生徒が一堂に集まって中間発表をするので、そこから付き合ってほしい・・・・・。”とのこと。中間発表から関わってほしいとの要請ははじめてであつた。


                
ジジからの提案

約束の通りに11月24日に学校へ伺った。すでに体育館では整列が終わっていた。各学年3クラス。一年生から順に発表することになるが、ジジは熊谷先生に提案をした。”各クラスの発表を聴かせてもらい、感想メモに記録して終わりでなく、感想を書くのでは無く、その場でジジに直接指導させてほしい・・。”

                
強烈な教師指導型

ジジに与えられた時間は一クラス5分程度。この時間でどれだけ効果が上げられるか全く自信がない。なにせ初対面だから・・・。とにかくやるしかないのである。
事前に譜読みを十分にしておき、ポイントを楽譜に朱書きをして臨んだ。改めて、ジックリ見ると”こんなところに、こんな記号があったんだ・・・。今までは・・・のように歌っていたが、違うんだ・・・。”などと発見することも多い。

そこで、B型のジジは直感で感じたものをともかく歌ったりシャベリまくった。極力理解してもらえるように心がけたが・・・・。

そんなジジの指摘に対しても、彼らは快く受け止めてくれているのがよ〜く伝わってくる。話を聞いている顔が良い。素直な心の様が手に取るように分かる。表情がとっても良い。ポイント練習しても、とっても反応が良く変化したのが共に実感できた。とっても爽やかな中学生である。

          
もっと感動的な
               表現ができるために

今年度の重点は「豊かな表現を目指そう」とのこと。
・まだ練習不足の感を指摘
・声は、特に女声は響きが薄い。男声は声量があるが声質にバラツキがある。
・バランスでは、人数の関係もあるが男声が強過ぎないように
・表現といっても,合唱はハーモニーが重要。音程がブラサガッテはダメ(特に 男声)。
・曲想表現を求めるのはよいが、上記のようなことがしっかり抑えられなけれ  ばダメ・・・・。
                            以上のことを話した。

高速回転でどうにか3年生まで終わったのが、最終下校ギリギリ。
指導の力量の不足に反省しながらも、終わった時の気持ちが心地よいのである。

             そして、今日!!

どれだけ、上達したかウキウキしながら学校に向かった。イザ本番。
”眼から鱗”とはこのことか・・・・。
今までに、校内合唱コンクールは数多く聴いたし、自分の経験からも大体の予想はつくところ。
それとは全く違ったのである。1年生の「タイムトラベル」から3年生最後の「碧鷺」までどのクラスも上記の課題解決に向けて頑張ったことがはっきり実感できる見事な演奏ばかりである。

1年生とは思えない響きのある歌声とハーモニーの綺麗さ。バランス
    への配慮を十分に感じる。豊かな合唱づくりを目指していること
    が読み取れる。
2年生は更に磨きがかかり、声も響きが豊かであり、のびやかで曲想
    表現も立派。バランスもよく厚みを感じる表現である。賞を決める
    のにとっても困った。
3年生は声も良い。特に、浅い響きであった女声が全く変身したのには
    ビックリシタ(女声の発声指導が不得意なジジとしては超ビックリ)
    男声のコントロールが見事でバランスも大変立派。もちろん詩の
    理解と発音、曲想表現に至るまで文句なし。

涙腺がゆるんだのも久々だった。

保護者の方に一言。
こんなに素晴らしい感動した合唱ができるのは、まず生徒諸君の努力があります。これだけ音楽的に質の高い表現をつくりあげるには極めて高い集中力と心が豊かでないとできません。これができたことはとても素晴らしいことです。それを支えている先生方が大変素晴らしいこと。保護者や地域が安定していること。このような環境で学べることの幸せを今後とも大事に育んでほしいと思います。

ともかく 気分がよくて一気に書いてしまったジジです。

           
村上東中学校 ありがとう!!

追伸
熊谷先生の授業レポートを紹介したいと思っています。

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2005年12月1日(木)
スクール オーケストラと
         そのヴァリエーション”
   その19


             〜  〜
     
生徒と先生も
         超 キツイ..

                      でも・・・・・        
                          
NO35

  33年前に植えたイチョウ         畑の中の習一中

習志野市立第一中学校(習一中)は現在のJR津田沼駅前の一等地にありました。習志野は軍隊の街であることから昭和24年5月に兵舎利用の学校に移転。音楽室には柱が数本あり、ダルマストーブ用でブリキ製の丸い穴が開けてあった。
昭和47年に畑のど真ん中の新校舎に移転。引越しは真夏のとっても暑い日でした。
それから33年。イチョウも大きくなり見事に色づきました。5階のデッパッタところが音楽室です。当時の冷暖房完備は話題になりました。

        生徒の先生も
             超  キビシイー・・!!


県代表になり、関東甲信越大会に出場のための録音どりも どうにか10月23日に終わった。今度はこども音楽コンクール東日本大会が12月にある。その直前まで3年生は休部となる。3年生にとっては受験は現実のこと。でもコンクールのことが気にならないわけがない。休部とはいえ放課後になると音楽室へ足が向いてしまうことも多い。そして多少なりとも楽器をサラウ。合奏にはいることはまずない。

一方、”できることなら全国一位を・・・”という熱い思いと、先輩達が築いてきた伝統校として、”頑張らなければ
”という気持。とっても複雑な状態である。しかし、現実には目前の受験プレッツシャーは避けられない。キビシイー!!

            
わずか4日間で・・・


期末試験が終わって4日後が東日本大会。もちろん試験前から数日は練習ができない。顧問の先生は3学年の担任。学級担任としての進路指導の真っ最中。個人や保護者との面接も頻繁。当然、突発的なさまざまな出来事は日常茶飯事。
試験が終わって3年生を含めた練習ができるのは、わずかな4日間。朝練習はできるが、放課後は会議や面接等で2日〜3日。これもキビシー!!

                  
ヤッパリ

期末試験終了直後の日に気になって様子を見にいった。”ヤッパリ・・・”。
全く緊張感が無く、アンサンブルがしまらないのである。空気が重い。指は回らない。音程は超 不安定。演奏にメリハリは無く、生き生きとした表現がなかなか感じられない。
ジジも心中では”試験が終わったばかりだし、条件が悪いよな・・特に3年生にとってはなおさらのこと。体調がわるそうな様子の生徒もいる。無理もないよ・・・・。”と思う反面、無手勝流の根性主義が頭をもたげてくる。

寺嶋先生が用事で指揮台を離れた時に、留守番を頼まれた。
内心、”この子たちはできるはずだ・・!!。”目前のコンクールに向けて、どうにかしてこの子たちの力をもう一度花開かせたい・・・。”などといろいろ考えながら練習をした。
”受身の演奏からの脱却がポンント”と考え、これにしぼって自分達で感じ合って音楽をつくっていくことに重点をおいた。指揮なし。出だしのみ合図をし、後はブレスをしながら生徒自らが音楽をつくっていくといった練習にした。

結局、ジジは超 欲求不満のままに音楽室を出た。ジジ自身が短時間で子ども達の力を引き出せなかったことの空しさを感じながら・・・・。

その夜、今日のまんまで本番を迎えるのは絶対によくない。どうにかならないか・・・。”と思い、もう一度音楽室にいくことを決めた。

             
 !! どうして 

不安を抱えながら、5階までの階段を上がって行く途中。ビックリ!!。
昨日のあの雰囲気はどこにいったの・・・??。 
まるで”天と地”の違いを感じさせる生き生きとした、見事な演奏が聴こえてくるではないか。音色も明るく、メリハリもグッド。ソロのカデンツもベリーグッド。
ハツラツとして躍動的な音楽に感動しその場に立ち止まってしばらく聴き入った。

見事に変わったその理由は全くわからない。
昨日の練習の中で、生徒も先生もお互いに感じあう何かがあったのであろうか・・・?。
とにかく気分が全く変わった演奏である。一夜にしてなのか、それとも一瞬にしてか・・・。
このようなできごとはジジもたくさん経験している。
この素晴らしい変化の要因の一つは、普段からの寺嶋先生と生徒達との心の絆の深さがものを言ったんだろうと、うらやましく思った。

”これなら、大丈夫”と音楽室に入ることなく”がんばれよ 後輩達・・”と心で声援を送って5階の明かりを見ながら、畑道を帰ったジジでした。

         苦悩をつきぬけ
               歓喜にいたれ


             
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2005年11月28日(月)
号外
  
  引越しました.
        http://www.jijiongaku.com/
                       新しいアドレスです。

                           NO34

   燃えるような真っ赤な”もみじライン(日塩有料道路)”

            引越しのこと

薄々手狭感はあったのですが、なにせ急でしかもはじめての引越しで戸惑いました。欲張りなジジは荷物がドンドン増える可能性があります。家賃との相談から門限にいたるまでの条件に合う大家さん探しが大変でした。でも“ともかく引っ越そう・・・”ということであたふたとその準備をはじめたのですが、もともと整理整頓が不得意なジジ。

今度の借家は各々の部屋もかなり広く、もの集めの得意なジジでも当分は大丈夫。ところが、引越しの際、ダンボールに入れたはずのものが行方不明になったりで只今もの探し中なところもあります。落ち着くまでにもう少し時間がかかりますが、“ジジの音楽教育情報”をよろしくお願いいたします。

なお、今回の引越しについても“音楽武者修行10・6付”で紹介しましたK氏に何から何まで大変お世話になり感謝しております。

    
    
お世話になったサイトの方々の話し

“ジジの音楽教育情報”の売りの一つが“お世話になった方々のサイト”のことです。これだけの情報が集約されているHPは他にないであろうと自負している。これは、現場サイドの発想というか、面倒臭がり屋のジジらしいところかもしれないが・・・。

趣意書、HPの構想図とジジの職歴の3点を作成し、次の4団体にリンクのお願いにいった。

まずは、NHKを!!。

     NHK全国学校音楽コンクール

そこで相談に行ったのが、NHK千葉支局。NHK全国学校音楽コンクールの審査をさせていただいたこともあり安易に考えていた。ところが、“書類をお預かりして、東京に伺いを・・・”とのこと。返事がなかなかこなくて心配したが、一週間位後に“合唱活動が活発になることにつながればNHKとしても結構です。”とのこと。“ヤッタ!”

         こども音楽コンクール

次は山本文雄アナウンサー(?・・古い話で恐縮です・・?)の司会がTBSこども音楽コンクールの顔であった頃を思い出しながら赤坂を訪ねた。ここでも同様“検討させていただきます・・・・。”とのこと。チョット気落ちしながら神楽坂の音楽之友社に向かっていた途中に携帯に連絡。“バナーもお使いください・・。”再び“ヤッタネ!”

    全日本吹奏楽連盟と全日本合唱連盟

この2つについては、ジジが大変弱いところ。つまり、スクールオーケストラ一本で生きてきたジジにとってはどこに相談をもちかけたらよいか苦慮したところ。でも、次から次と多くの方々に応援をいただくことができた。
吹奏楽連盟には現在の某県吹奏楽連盟理事長さんに仲介をとっていただきOKがでた。
合唱連盟についても茨城県のK女史に力添えをいただきOK。

つまり、
NHK全国学校音楽コンクール、ことも音楽コンクール、全日本吹奏楽連盟
全日本合唱連盟 の4つの情報が一つのページで覗くことができるようになった。この情報は結構評判がよいようである。


     ヤマハミュージック パル

ヤマハミュージック パルはリンク集が大変豊富。しかも、音楽教師にとって現場で“即!!役立つ情報が満載”であることから、是非リンクをお願いしたかった。これについても、K氏の仲介でOK。

         感 謝           

引越しを機会に改めて、多くの方々に感謝しているところです。お礼の意味も込めて、今後さらに充実した情報をお届けしたいと思います。これからも「ジジの音楽教育情報」をよろしくお願いいたします。

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2005年11月12日(土)
”スクール オーケストラと
         そのヴァリエーション”
   その18

     寿合唱団常任指揮者のジジ
            〜定期演奏会から

                           
NO33

    浅草寺の境内です      素晴らしきかな寿合唱団

ほうずき市以来、久々に浅草に行きました。七五三のかわいいレディーに外国の方もカメラを向けてパチリ。恒例の菊花展も見事でした。近くの小学生の作品も目を引きました。20年?ぶりに「神谷バー」にも寄りました。デンキブランのオールドを3杯。足元が少し危ない感じでした・・・・。(左)
平均年齢84.3才の素敵な寿合唱団員です。ステージが終わって”オ!!”・・。演奏前の景気付けの”オ!!”でないところがワールドで気にいってます。(右)

       清く 正しく 美しく

先日、寿合唱団定期演奏会があった。女性は白黒のステージ衣装にドレスアップし、お化粧もいつもよりやや厚め。胸にはバラの花。男性お一人は真っ赤なネクタイに胸がヒラヒラの真っ白いワイシャツ。それにステッチが入っている濃紺の上着で胸にはバラのコサージュと真っ白なチーフ。もちろん靴はエナメル・・・・。といった具合でその日は特にお洒落で若々しい。プログラムのコンセプトは 
 
           〜清く 正しく 美しく〜

曲目は
 青い山脈 ふるさと 知床旅情 高原列車は行く もみじ の五曲。

       平均年齢84.3歳

ジジは現在、公民館で寿合唱団の常任指導者として週一回の講座をもっている。楽員の平均年齢84,3歳。最高齢は94歳の女性。この方は小さいころから歌が大好きで、ご主人にピアノを買ってもらったほど。今でも、雨戸を閉めて思い出の歌を弾き語りしているとか・・・。他の講座を休んでもジジ講座には毎回出席される。

        絶妙なテクニック

合唱団といってもハモル(音楽的に)ことは殆どない。斉唱でもなぜか「コーラス」といっている。ハモルといえば「もみじ」の輪唱は18番。ビブラートというか振るえというか、ともかく幅広いバイブレーションやコロラトゥーラ的な独特な歌声。声量のアップを要求すると、更に激しく揺れる。楽員一人一人が大きな声で気分よくのびのびと歌って楽しんでいる様子を見ると、健康第一と納得している。

今回のプログラムでは、大正琴やハーモニカのソロを前奏、間奏、コーダーなどに入れた。ソリストはもちろん団員。大正琴のトレモロ奏やハーモニカのビブラートが超!!うまい。

ソロを入れての通し練習。微妙にあるいは極端なテンポルバートによるテンポのゆれ。即興的な装飾音の導入。当然、パウゼもある・・・・・・。楽譜通りというより、自分の記憶にある世界をかたくなに拘るのである。指揮者は無視。ピアノ伴奏者もチョット大変・・・。

でも、独特な歌声と琴やハーモニカとの音色の融合がとても心地よいのである。

無手勝流で必死にクリアな音楽づくりを目指してきたジジとしては、先輩たちと一緒に楽しんでいる自分がとても不思議な気分である。ともかく、この一時がとても楽しいジジです。


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2005年11月1日(火)
”スクール オーケストラと
         そのヴァリエーション”
   その17
      

      道路工事を中止させた
                    録音どり

                            
NO 32

    養老渓谷の秋           坊ちゃん湯の裏側
   
養老渓谷の遊歩道からパチリ。千葉県では紅葉が楽しめるスポットの1つです。この頃に合わせて菊花展も有名です。(左)
坊ちゃん湯の造り、特に2階から3階の風景が結構気に入っています。早朝6時から一番風呂に入ってきました。(右)

     全国コンクールへの挑戦
               だが・・・・・・

地方コンクール出場のための録音どりに付きあった。この経験はジジにもいっぱいある。昔のことだから今とは随分違うけど・・・・。

運がよければこの録音テープが全国コンクールまでいくことになる。だからこの日までを目標に3年生も“録音どりが終わるまでは・・・・!!。”と必死に頑張ってきた。

          機材はプロ級・・・?

録音のための機材もプロ級?のもを用意した。TEAC 2トラ 38(サンパチ)。マイクも結構性能の良いもの(確かソニーNOの???)にした記憶がある。マイクを立てる位置や高さ、それにマイクの角度や向きはこども音楽コンクール出場のときにプロのテクニックを盗んだ。

場所は音楽室では狭く、残響の関係で問題がある。結局体育館でやることになる。曜日の設定や時間も頭が痛いところ。グランドにそって幹線道路があるために比較的交通量の少ない日曜日にした。時間は午前中。

           いざ 本番!!。

このテープが全国コンクールまで・・・。と思えばプレッシャーもかかる。普段余り音を外したことも無いのに・・・・。力が入りすぎて“キラ!!”。緊張が強すぎて音楽に伸びやかさに欠ける演奏・・・。

ともかく、予想もしないハプニングが結構出てくる。でもどうにかこうにか録音がとれた。

           え・・!! キーン

スピーカーから再生してみる。冒頭から順にチェックしながら耳を傾ける。マァーマァー・・・・の調子である。ところが、ヘッドフォーンの奥から音楽とは別な音がするではないか!!。繰り返しチェックすると、“キーン”。道路工事のカッターの回転音である・・。超ショック。日曜日の工事は休みのはず。走って工事現場に行き、事情を伺うと“工事日程の関係で・・・”との返事。

身勝手なジジは“そちらの事情もあるだろうが・・・、こちらも都合がある!!。だって予定していた日が雨(体育館屋根の雨音で)で日延べしたために今日しかないのである。

そこでジジは大胆にも市役所に電話をかけた。“今、録音取りをしている。このテープで全国優勝が決まるかも・・・”“どうにかしてほしい・・・”

全くメチャクチャな話し。

ところが、しばらくしたら工事が止んだのである。おかげ様でよい演奏の録音ができ結果も全国優勝ができた。
後日談であるが業者の方は学区に住んでおり、管弦楽部の活動をよく承知しておられたとのこと。応援者の一人と伺い部員共々お礼に伺った。

        え・・!!  今度はゴーン

と思えば、今度は飛行機に悩まされた。雑音の少ない夕方から夜にかけての録音。ところが、学校の上空が羽田飛行場への進入コース。飛行機が脚を出した状態で体育館の上を通過する。

今度は“ゴーン”こればかりは飛行中止とはいかない。通過の合間をぬっての演奏しなければならない。ところが、夕刻からは羽田に向う便数がやたら多い・・・・・・・。

あきらめムードで止む無く、今度はこちらが中止したこともあった。

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2005年10月20日(木)

”スクール オーケストラと
         そのヴァリエーション”
   その16
      

        逆境に打ち勝て
              今がふんばりどころ

                            
NO 31

     ロウソク岩            どこまでも真っ直ぐな道

小樽から余市を経由して積丹に向かった。余市を過ぎると道幅も狭くなる。海岸線もクネクネ。切れ立った崖。いかにも日本海の荒波に打たれたと思われる不思議な形をした岩がゴロゴロ。トンネルを抜けると突然現れたのがロウソク岩。真っ青な海と真っ白い雲の間に厳しい荒波や風雪に耐え凛々しく立っている岩。(左)
北海道はデッカイナ・・・ 広いな・・・。どこまでも真っ直ぐな道
来た道を振り返ると、1898メートルの羊蹄山。赤いサイロ、水色屋根のドーム型牛舎。広々とした牧草地・・・。雪深さを思わせる標識・・・・・。ともかくデッカイ(右)


              
 悔いの無い青春を

中学校の部活動(特に運動系)は夏の大会をもって終わり、後輩に道を譲る。そして、受験に備えて猛勉強中?が一般的。だから、夏までは、保護者や本人も"夏まで・・・”と自分に言い聞かせながら必死に頑張る。親も受験のことが気になり”勉強大丈夫なの・・・・。”と心配しながらも仕方なく我慢することになる。

           
 エ〜  まだ部活やるの・・・

ところが、コンクールの時期や結果によっては、10月から11月。さらには12月まで続く場合もある。仮にそうなるととってもうれしいが反面、大変辛いことになる。
周りの仲間はとっくに受験体制に入っているのに、自分だけは引退できずに練習を続ける。朝練は免除してもらえる。放課後も週何日か練習に出ればよいことになる。
でも実際は、 朝はともかくとして放課後になると不思議と足が音楽室に向かう。チョットでも楽器をさわって帰る。でも練習のことが気にかかりながらも後ろ髪を引かれる思いで塾に行く時もある。"今日は練習していくか!!と決心し音楽室に行くとなぜかホットする。でも家に帰るとチョッピリ嫌味。
学校や塾で進路面接も多くなる。
とにかく落ち着かない日々を送ることになる。
        
 
        
 部活動と勉強の両立
           デキルワケナイジャン!!


風邪で熱を出したら"大丈夫かい・・・  授業は休め・・  放課後の練習には出てこい・・・”などど信じられないことを言った部活動の顧問の話。家族からは 成績が下がったといって部活動をやめなさい!!と言われながらも必死に頑張ってきた。勉強と部活動の両立で悩み、途中何度も辞めようと思ったこともあった。大体両立できるわけが無いと心の底では思っていたジジ。


           
 何のために頑張ってきたの・・

だって
人より早く登校し、人より遅くまで。土・日曜日も無い練習の日々。先輩達が築いてくれた伝統へのプレッシャーもある。また、悲願の優勝をシタイ!!。
そんな先輩達の後ろ姿を見て育ってきた3年間。
目的達成に向けて月月火水木金金の3年間過ごしてきた生活習慣はそう簡単に切り替えられるものではない。


         
 ”苦悩をつきぬけ歓喜にいたれ”

”コンクールまで後、4日。頑張ろう・・・。塾も大事だが後4日にベストを尽くそう
辛いけどもう一度、練習に燃えよう。4日を中途半端な気持ちで練習して悔いの残る演奏したら、君達の3年間はナンダッタンダ!!苦しいときこそ仲間で頑張ろう。あと4日。悔いのない青春を送ろう・・・頑張ろう・・・。根性だして・・・。
この時期になると、いつもこんなことを子ども達に熱く語った。あまりの苦しさに涙する3年生もいた。もちろんジジも一緒に泣いたこともあった。
逆境に打ち勝つ強い精神力。仲間と支え合う強い絆。二度とない青春を無駄にするまい。

これらの貴重な経験はこれからの長い人生で”ロウソク岩”のように、凛とした素敵な生涯を送っていくために絶対に役立つと今でも確信しているジジです。
       
頑張れ   悔いを残すな
              "苦悩をつきぬけ歓喜にいたれ”



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2005年10月6日(水)
 号 外

    〜ホームページが誕生するまでの
                    ウラ事情〜

         10000件突破 記念!!
      
           ありがとうございます
         

                             NO 30

    十勝岳と一面のサルビア     掬月亭(栗林公園
ラベンダーファーム富田入り口から十勝岳を望む。残念ながら十勝岳は雲で隠れていました。でも裾野はさすが”北海道〜”(左)
紫雲山「しうんざん」を背景、サルスベリの花越しに見た数奇屋風書院造りの茶亭
掬月亭。(右)


          
わぁーぃ!!   1万件ダゾ

102am6:45。ついにカウントが10000万件突破した記念タイム。2006115日がHPジジの誕生日。退職時はワープロで文書が精一杯。そのジジがどうしてホームページ“ジジの音楽教育情報”をアップできるまでになったのでしょうか???・・・・・。

         お世話になった人 その1

公民館勤務で事務引継ぎは3・5フロッピー一枚。隣の席のSさん(パソコンプロ)。パソコン師匠のSさんとの出会いがこのページ誕生のきっかけになった。取り急ぎ、フロッピーを開かないことには仕事にならない。そこで、S師匠さんのレッスン1は電源の入れ方から・・・・。ともかく、師匠のお仕事の状況はおかまいなしで “Sさん・・これどうして・・。あ!!消えちゃった・・・・。ともかくしきりに質問の浴びせ状態。そんなジジに師匠はいつも丁寧に教えてくださった。Sさんの息子さんF君もコンピューターのプロ。この方にも自宅に何度もきていただき”お助けマン“をお願いした。

       お世話になった人 その2

ジジの構想に油を注いだ人。この方も同じ職場。発想が豊かで柔らか頭のK氏。パソコンレベルは中級?でも時々ウルトラ級のウラ業のテクニシャン。
ページにメニューが多いのはこの方のせいである。(後で更新していくことの大変さも考えずに・・・)ついついその話に乗ってしまったジジですが・・・。

         お世話になった人 その3

“お手伝いをしましょう・・・”といってくださったY氏とそのお嬢さんY子さん(クリエター)。その頃はクリエターの意味も全然わかりません・・)。ワードやクセルで作成したデーターを貼り付ければホームページができると考えていた程度のジジ。
Y子さんから“HTML” とか“タグ”と聞かれても、全くチンプン カンプン・・・・。
余りの超ギャップに“エッ!!・・”と絶句されたことと思う。 
でも、Y氏のご協力もあり手伝ってもらうことになった。
現在のジジはすべてそのクリエターのY子さんがつくってくださったものです。(素敵でしょう・・・。)
初めてアップされたときは、天にも昇る気持ちだった。
そのとき薦められた本が「これ一冊でわかる!!HTML」(新星出版社)でした。

必死で勉強することになる。ところがY子さんのお仕事の都合で“ジジ”の更新が厳しくなりました・・。との話し。頭が真っ白。大慌てのジジ。そこで次なる登場が・・・。.

           お世話になった方 その4

往復4時間かけて荻窪まで個人レッスンに3回。比較的近いパソコンスクールにも通った。スクールは16時間コースを選択したが、11時間でやめた。

       お世話になった方 その5

K氏。中学時代はオーボエ、大学で作曲を専攻。パソコンで作曲もお手のもの。メディア関係はOK.この方が「原版ジジ」をジジ偏差値に近くアレンジしてくださった。更新のためのテクニック伝授の合宿もした。
今でも、“お助けマン”として大変お世話になっている。

          そして ヤット・・・!!

このようにして多くの方々の力添えによって、ようやく自力でアップできたのが“音楽武者修行”(2005.1.12)。他のメニューもようやく更新できるようになったジジです。
でも、時折“どうして・・・ 助けて・・・”とK氏へメールや電話の今日です。

       感謝しつつ
          今後とも よろしくお願いします

“?才の手習い”にしては超ハード。内容を含め魅力的な“ジジ”にしていきます。今後ともよろしくお願いします。

 追伸
   ソフトは”ホームページビルダー9
                  を使っています。

   
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2005年9月30日(金)

”スクール オーケストラと
         そのヴァリエーション”
   その15
      
        
教師冥利に尽きるジジです。
                 
         NO 29
        

   ヒガンバナの群生           一面のサルビア
                      (ラベンダーファーム富田


埼玉県日高市「巾着田」のヒガンバナ(曼珠沙華の里)です。あいにくの小雨。でもすぐ側を流れる清流の高麗川とのコントラストがとても印象的でした。
富良野から美瑛に向かって行く左側にラベンダー園(ラベンダーファーム富田)があります。きれいな花園はてっきりラベンダーと近づくとサルビアでした。感動のあまり言葉を失いました。

          ワクワク ドキドキ

今年の夏は”無手勝流全開時代”の教え子たちに会う機会が多かった。学級担任としてあるいは部活動顧問として呼ばれるのはとてもうれしいことである。教え子といっても今でも必ずお正月の4日頃に「美酒の宴??」に訪ねてくれる諸君も数名はいる。その時の話題に登場する名前で大体の顔は想像がつく。でもこれはまれな話し。大半は久々の再会となる。

とはいっても、習志野少年少女オーケストラ時代の仲間が3年前の夏にジジの退職祝いをしてくれた時に会っているので大体はわかる。

でもチョット不安なこともある。なにせ、20数年ぶり近くに会うメンバーもいるものだから・・・。顔を見てもなかなか思い出せない子。顔はおぼえていても名前が出てこない子。・・・と思えば会った瞬間に顔と名前がスーット出てくる場合もある。名前は出てこないが担当楽器名はすぐ分かる。”ア〜 あれだ・・・”。自己紹介されてようやく思い出す。遅刻の常習者・・。練習が不真面目で・・・。ナランペットといってよく怒られていたトランペットの・・・・君。ジジがチョット音楽室を出ると後輩に見張りをさせながら、すかさずキャッチボールをするホルンの・・・君。音が抜けなくてナラリネットと言われながらしごかれた・・・・さん。・・・・・などなど。でもすぐわかる時もある。この場合は大体がチョット?困らせた者や何か出来事があった方がよく憶えている。それでも今までは正解率80%前後。後の20%も最後には大体分かる。
          

             若気の至り

一方、ジジにとって都合の悪い場合も時にはある。”先生 憶えていますか・・・あのこと????・・・。とても怖い質問である。瞬間に"何か やったかな!!”と必死に思い出そうとすると幾つか心当たりがありヒヤ汗もの。”若気の至り”とはいっても程度問題となるとチョイト困ることも度々。そんな訳で100%大喜びというようにはいかないのが正直なところ。
でも、彼らも中年?(失礼・・・!)


          思いやりに救われたジジ
  
幸いにして、今年の夏は余り困ったことが無かったのは、彼等の思いやりからだろう・・・・・・・。
自営業・サラーマン・主婦・・・などさまざま。部活動での仲間も人生いろいろ。プロとして活躍している者。アマチュアとして楽しいんでいる者。全く楽器とは縁が無くなっている者。でも、中学生時代の思いでは忘れられない・・・・・さまざま。


                

ある時、昔の仲間で室内楽を結成して活動していることを知った。また、”同じ釜の飯を食べたもの同志”でメーリングリスト(現在40名程度)を通して近況報告や練習日などの情報交換もしていた。早速、ジジも仲間に入れてもらった。
そこで知ったのが定期演奏会のこと。
早速行くことにした。今日もまた,彼等のお陰で青春時代にタイムスリップできることに感謝しつつドキドキ ワクワクしながらホールに向ったジジでした。


   コンサートの様子は、
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            2005.10.01を覗いて


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2005年9月25日(日)
  Pause               
 
   〜チョット休憩〜 
            少し遅れた夏休みです

                            NO 28

     四季彩の丘               積丹岬

しばらくでした。
ジジもようやく夏休み。20日過ぎに”格安!!2泊3日北海道レンタカーフリープラン”に行きました。北海道は4回目。今まではバスツアーでした。今回は"無手勝流ジジ”の気ままでチョットだけ欲張って延べ804キロ走りました。


行程
1日目
羽田発6:55からスタートして約1時間5分で新千歳空港に到着。レンタカーにより夕張まで高速。日高峠・金山峠を越えて富良野に到着。ラベンダーファーム富田から美馬牛駅の側を通って四季彩の丘でパッチワームの丘を満喫。残念ながら十勝岳は見えない。お洒落な美瑛駅の町並みを見ながら、ケンとメリーのポプラからセンブンスターを経由して旭川。旭川からは道央自動車道路で札幌に超特急。(泊)


2日目
翌日は札幌から50分くらいで小樽。運河街でパチリ。余市、積丹岬でパチリ。神威岬から日本海を下ること岩内町まで。羊蹄山に向かってニセコ方面に走る。真狩村を経由して洞爺湖。花火も素敵なプレゼントでした。(泊)


3日目
洞爺湖から大滝村をぬけて支笏湖。
支笏湖から札幌まで約1時間20分。赤れんがの北海道庁本庁舎と大通り公園。チョットだけサッポロビール園で休憩。


途中、観光業者より携帯に連絡あり。"都合により帰りの便を変更して欲しい・・・・。”とのこと。
OKして新千歳空港のカウンターにその旨告げるてチケットを受け取る。”なんと スーパーシートではないか。初体験でルンルン・・・。台風17号の影響でジャンボがやたらゆれたのを除けば・・・・・・。


現場の先生方は日々激務で頑張っておられるのにどうもすみません。
これも年金生活者へ神様からいただいたささやかな休息の一時と思って広大な台地と荒々しい日本海に浸食させた勇壮な海岸線を満喫してきました。
ただただ感激で、オリンパスC−740カメディアで127枚もシャッターを押してしまいました。

詳細については、後日 画像タップリで報告します。


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2005年9月18日(日)
”スクール オーケストラと
         そのヴァリエーション”
   その14
  
  
見事な演奏に感動!!
     
   でも チョット気になる
                    
選曲のこと
                 
         NO 27
         

 沢の池のタンチョウ(後楽園)     さすが日本三名園

岡山国体夏季大会期間中はタンチョウを沢の池で見られます。思いもしなかった光景にビックリ。そこでパチリ。遠くに延養亭を望む。
街のオアシス後楽園。木々の緑が周囲のビル街をすっかり覆い隠し、園内に一歩足を踏み入れると街の中心にいることを忘れてしまいます。緑の谷間に見える烏城(岡山城)も見ごたえがありました。


        
         見事な演奏にビックリ!!

17日(土)18日(日)と、こども音楽コンクール千葉県地区コンクールがありました。ジジの時代は山本アナウンサーがこのコンクールの顔でした。今も昔も変わらない光景がたくさんありました。ビックリしたのは選曲の変化です。ジジの時代は序曲等が中心。近年ではシンフォニーから現代にいたるまで。関東大会や全国大会になると一層高度な曲になりそれを見事に演奏してまたビックリ。合唱曲も同様に難易度の高い曲を多く聴きます。


          あの感動は忘れられない!!

これらの曲をとても上手に演奏するからこれまたビックリ・・・・。演奏技術が高まったことや感性が豊かになったこと。情報もたくさん入ってきます。挑戦(チャレンジ)もあります。もちろん、先生方の熱心な勉強と指導力の賜物が大きいことは言うまでもありません。そして、切磋琢磨、叱咤激励、日々様々なドラマ・・・・。それらを乗り越えて念願の演奏ができたときの感動は今も昔も同じだと思います。

         チョット無理していませんか

でも、なかには”チョット無理してないかな?・・・・”と思われる選曲も時にはあります。つまり、子ども達の演奏技術や音楽を理解できる能力等を配慮して選曲されているのかな・・・・・?。
校内合唱コンクールなどもこれと同じようなことを感じる時があります。一曲大曲主義。”先輩が歌ったから”、とか”昨年より高度な選曲を・・・・。”とエスカレートしていく。なかには先生が”この曲は飽きたから・・・。”などの声もたまにはある。そしてパワー全開のすごい合唱!!。そして”ヤッター”・・・・。

               
これも納得   

ジジが過去に経験した生徒指導的合唱指導の姿である。もちろんこのことを全面的に否定するつもりはない。特に多感な中学生にはどうしてもこのような要素があることは経験者とし十分に理解できるが・・・・。


              
でも・・・・・・ 

でも"選曲を工夫すればもっと楽しめて素敵な音楽が味わえるのに・・・。”と思うことを時々感じます。
懸命な練習のかいあって感動的な演奏ができた時はとってもうれしいものです。それが成績とうまく結びつくと一層喜びも増します。でも、その逆の場合はとっても辛い。”今年こそは!!”と折角頑張ってきたのに・・・・・・・。



            ホットしたジジでした。

今日の演奏では、子どもの技能などに配慮がなされ、無理なく表情豊かに、のびのびと美しい響きでまとまられた素晴らしい合唱。適切な選曲でメリハリがありハツラツとし、生き生きとした演奏。音楽のつくり方等も無理なくとっても丁寧に表現されて心地良い演奏がたくさんありました。
このような演奏を聴くとホットするジジでした。


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2005年9月6日(火)
”スクール オーケストラと
         そのヴァリエーション”
   その13
   
      
28年ぶりに指揮台に立ったジジ     
             〜楽と礼〜

                 
         NO 26

     飯綱の合宿所             久々の音楽室

秋山和慶・辻 久子・・・。一流の先生方に子ども達やジジが勉強させていただいた思い出の合宿所。(昔の話) すっかり秋の風が吹いていました。
28年ぶりに指揮台に立った音楽室。この部屋に「楽と礼」が飾ってあります。



           ひと夏の経験  28年ぶり!!


今年の夏は“教師冥利に尽きる”できごとが多くあった。その1つが初任校である習志野第一中学校管弦楽部(習一中)の指揮台に立つことになったこと。顧問の先生との交流は普段から結構ノミニケーションを図っている。習一中オケの演奏はコンクールや定期演奏会などで聴くことは多い。コンクールで審査する時はチョット複雑。4年前(2001・3)に創部50周年記念事業定期演奏会の前座で「こうもり序曲」を練習一回、ゲネプロ一発で本番で指揮をした。メンバーは当時の現役とOB(ジジはまったく知らないメンバー)の合同編成。曲中でオーボエがとってもきれいなアリアを奏でる部分の話し。


          甘いオーボエの音色のわけ

顧問はオーボエのプロ級。彼はこのメロディーになるとますます本領発揮。出だしは指揮を見てくれたが、その後は指揮を無視して目を瞑り陶酔しながら演奏した。これが結構名演奏で好評だった。もともと腕前は一流?だったが、とても甘くとろけるよう。(後日談 彼はその直後に結婚式をひかえていた。だから目を瞑りながら・・・・。(納得。)
このときの演奏はとっても楽しい名演奏?であった。それ以外は、初任校で指揮棒を握ったことは皆無。

             微妙な心の動揺

他の学校で頼まれて指揮をすることはあっても、新米指揮者としてスタートした学校で指揮をするとなればチョイト訳が違う。それが、“なぜ・・!! 指揮することになったのか???。


           思い出した無手勝流


それは、ノミニケーションの場でコンクール曲が話題になった。今年のコンクール曲が過去のジジのプログラムにあったことに始まる。(曲名は極秘)顧問の先生から依頼があってから指揮台に立つまでは結構心地よい緊張があった。緊張というより妙な気持ち。なにせ、28年前はジジの青春真っ只中。月月火水木金金、無手勝流で絶好調の頃。ロング ロング アゴーの話。・・・・


            懐かしの音楽室

イザ。心を決めて5階の音楽室に向った。歳のせいかもしれないが階段がやたらキツカッタ。

5階についた。オーケストラの響きが聴こえてきた。“”いい〜“やっぱりオケはいいね〜・・・・“

           一枚の額・「楽と礼」

音楽室に入ると28年前に離任するときに置いてきた額があった。その額には「楽と礼」と書いてある。これは斉藤二郎校長(昭和45年48年)がジジに話された言葉。我武者羅なジジに教育のあり方をご示唆いただいたもの。この言葉がジジの教師生活にも大きな意味を持つことになる。また、部訓となり今なお、音楽室にあることに感動した。


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2005年8月31日(水)
”スクール オーケストラと
         そのヴァリエーション”   その12
   
     
       コンクール
                         
                          NO 25

   もう咲いていました         千葉ポートタワー

残暑と言いつつも朝夕は随分しのぎやすくなりました。長野の飯綱山ではアジサイとコスモスが同時に咲いていました。
高さ125メートルの千葉ポートタワーです。ハーフミラーガラスで覆われた天高くそびえるタワー。京葉工業地帯から幕張メッセ、遠くは東京湾から富士山まで望めます。雲の高さからも秋の訪れを感じます。


             熱い想い


この夏、急いでコンクール会場に向かった。どの学校も今年こそ昨年より・・・“とか是非、県代表になって更に上位のコンクールを・・・”。また、絶対に 昨年度の成績は守らなくてワ・・・。などと熱い願いをもって望むコンクール。

会場に着いたときには、どうも前の部門の結果発表あった直後の様子。ホールの入り口近くの周辺にはいくつもの集団があった。

           ただただ悔しい・・・


 その一つの団体の側を通った。ほとんどの部員が泣いていた。その前には先輩と思われる数人が立ち後輩へ賞賛の言葉を送っていた。生徒の後ろには顧問の先生はただ黙って立っている。部員はもちろんのこと先輩たちや先生も含め、悔しい思いは皆同じだろう。       

       打倒  やった  しかし・・・
 

ジジも昔のことを思い出した。
子ども音楽コンクール東日本大会のとき。演奏曲はシュトラウス作曲「こうもり」序曲。勿論、一位を目指して一年間かなり厳しい演習をした。合言葉は“打倒 銚子五中・・・!!”そして、全国大会へ!!“。演奏にはかなり自信があった。その頃目標にしていた学校が銚子第五中学校管弦楽部(塚本卯太郎指揮)。偶然にも銚子五中と同じ曲になってしまったのである。演奏順は銚子五中が最後。その1つ前に演奏した。自分たちの演奏は満足できる出来栄えだった。もしかして“ヨッシ! やった・・”と舞い上がった。


        ミス探し

その後、ライバル意識丸出しで銚子五中の演奏を聴く。出だしの3つの和音の響きから次から次とチェツクしていく。つまりミス探しを細かくやっていく。最後のチャヵチャン。“ヨーシ 勝った!!”と思った。しかし、結果は駄目。

超ショック。言葉も無い。絶対こっちがよかったのに・・・・。応援してくれた人も“絶対よかったのに・・・どうして・・・・。”益々悔しい。ただただ悔しい。審査の先生をも恨む思い。当分は立ち直れなかった。
 

             反 省!!

ミスをカウントしていた自分を恥ずかしいと気がついたのは、それから随分時がたってからであった。

  
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2005年8月26日(金)
”スクール オーケストラと
         そのヴァリエーション”   その11
   
     
       名物の廃品回収
                          NO 24

  校庭に咲いていました       たくさん実を付けています

明日は夏休み最後の土・日曜日。キバナコスモスがとっても綺麗だったのでパチリ。校舎の窓際には稲穂がしっかり実を付けていました。赤色と銀色のキラキラテープが活躍してくれています。まだ セミは頑張っています。
残暑は厳しいですが、周りは秋模様です。
子ども達の明るい元気な声が校舎に戻ってくるのももう直ぐです。


        少し上達したオケ仲間の
                   あらたな願い 
 

月月火水木金金の練習を続ける日々。チューニングもオケらしい雰囲気が出てきた。腕前も少しは上達してきた。“スケーターズワルツ”や“金と銀”でボーイングや音程の練習を徹底的に鍛えた成果も次第に現れてきた。

楽譜についても、最初はブラスの譜面に手を加えてオケ用にして演奏していた。しかし、これも手間や時間、それにジジの偏差値等の関係から限界があった。やっぱりオケ用の楽譜で!!。レパートリーも増やしたい・・・・・。

             秘 策!!

金食い虫のオケ”としては、あらたな願いを解決するための秘策を考えた。そこで考えたのが“修理代はともかくとして、“楽譜代ぐらいは自分たちで少しでもどうにかしよう。”ということ。

そこで浮上してきたのが“廃品回収”。広い学区を3つの地域に区分し、原則として全戸を対象にした。学校の周辺には3階〜5階建ての官舎も多く、戸数としてもかなりの数。


             具体的方策とは

趣意書を顧問と部長の連名でプリントを作り部員が一軒一軒訪問して依頼した。官舎はプリント配りには能率がよいが、回収には閉口する。つまり、新聞紙・雑誌等の重たいものを持っての階段の上り下り。後半になると膝が笑ってしまう。更に、各ポイントに集約したものをリヤカーで学校まで運ぶ。学校での分別班は、次から次へとくる大量の廃品を手際よく分別していく。でもいっこうに減らない新聞の山。さすが夕方になるとみんな寡黙になってしまう。


           業者のおじさんもビックリ!!

大型トラックが山になってしまう廃品を見て、業者の方は“よく集まりますね・・・・”1つの学校でやってもこんなには集まりませんよ・・・!!。とビックリ。
協力いただいた方への礼状を配ったり、子とも達の態度が好印象だったなどと聞くとホットした。

            
              もう一つの意味

準備から回収終了まで一週間を費やしても廃品回収を実施する目的は楽譜代を稼ぐことと、もう一つ意味を考えていた。それは、人様のお宅を訪ね、趣旨を話してお願いし、回収までの過程の中で、部員一人一人が何かを学び、何かに気づき、何かをつかんでほしいと考えていたことである。

大変な思いをして購入した楽譜への愛着は格別なものがあったのではないだろうか。お陰さまで男女はもちろんのこと、先輩後輩の仲が一層強くなった。アンサンブルも少し良くなったような気がしてきた。

保護者からも車を提供してもらうなど応援がとっても多かったのは励みになった。

「第4回ウィーン青少年音楽祭」に参加する費用の一部ということからも長年続けることになった。地域の名物になった廃品回収でした。

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2005年8月17日(水)
”スクール オーケストラと
         そのヴァリエーション”   その10
   
     
 廃品回収で購入した
               「未完成交響曲」

                          NO 23

              夏  風 景 で す。

ひまわり(向日葵)キク科。Sun Flower。真夏にふさわしい名前。
ツクツクボーシ・・・ミーン ミーン・・と元気に鳴いています。校舎の片隅のバケツでは稲が稲穂をたくさん付けていました。朝晩は少しだ
けしのぎ易くなったように感じますが・・・・・。


         オーケストラは金食い虫・・・

バーコード状態の弓。糸巻きが変形して直ぐにゆるんでしまうヴァイオリン。松脂をぬって急場をしのぐ。もとに戻らない駒。タンポが破けているクラリネットやフルート。へこみの激しいメロホルン・・・。
スチール弦からガット弦に変えたいけど、余りにも高価すぎて無理。

           教頭先生の一言

 “もっとよい音を!!”をと楽器のグレードアップは口に出すことはとんでもない話し。せめて修理はしたい。遠慮がちに教頭さんに相談にいくと“管弦は金が掛かるよなー・・・・”そのうち“オケラは金食い虫だ。”
全くその通リ。一言もない。部費での賄いは限度がある。でも、練習すれば、楽器は傷むし、弓の毛は薄くなる一方。手持ちの楽譜だけでは飽きてくる。新しい楽譜も購入したい。

            「未完成」との出会い

生徒から“「未完成交響曲」を演奏したい。・・・”という声が持ち上がった。楽譜代もフルセットで相当高価。そこで考えだしたのが廃品回収である。毎月行ってようやく目標額に達した。ジジはスバル360(カブトムシ型)にのり、東大(本郷三丁目)の近くにあるアカデミアで購入。その場で学校に “今、未完成を購入した。学校に戻る”と連絡をした。

           彼等はいつも素晴らしい!!

夕方、学校に着くと部員たちは帰らないで音楽室で待っていた。下校時間はとっくに過ぎているのに・・・。
音楽室にいくと“楽譜を見せてください”と奪うようにもっていった一年生の部員(チェロ)。その部員が指揮台に立ち“ 今から楽譜を配ります。”といって新品の「未完成交響曲」のパート譜を配りだした。“それでは、初見大会をやります。”

“頭はコントラバスとチェロ いいですか・・・・。”といいながら指揮を始めてしまった。冒頭のメロディーが聴こえてきた途端、“オー”という声が沸いてきた。

なんとジジより先に「未完成交響曲」の初演を指揮したのは1年生の部員だった。彼は、第4回ウイーン青少年音楽祭に参加した時、アシスタントコンダクターとしてジジをサポートしてくれた。後、外国の指揮者コンクールで入賞し、現在プロとして活躍中。

             
無限の可能性を持っている生徒達にいつもビックリさせられていたジジでした。            

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2005年8月11日(木)
号 外 
       ”さんぽ”  ”奇 跡”
 そして
               
見上げてごらん夜の星を

                             
                             NO 22

  一面のポーチュラカ畑       鴨川シーワールドにて
 
白浜で一泊し、翌日鴨川シーワールドにいきました。潮騒を聴きながら一面に色分けして植えられた量感のあるポチュラカのお花畑。大きなプールではシャチやイルカショーを楽しみました


              ”
さ ん ぽ

宇宙飛行士 野口聡一さんとその仲間達が無事帰還されて本当によかった!!。と世界中の人々が思った。3人のお嬢さんたちが歌った”さんぽ”で眼を覚ましたとか。とっても明るく元気な歌声がどんなに勇気づけてくれたことだろう。”トトロ”も宇宙の目覚ましミュージックに”さんぽ”が使われるとは思っていなかったであろう・・・。
帰還後のインタビューから
 Q 野口さん、茅ヶ崎では”えぼし岩
をライトアップしたのですが
   見えましたか

 A 富士山や江ノ島は見えました。
   ”えぼし岩”は心の眼で見ました・・・・。


              ”奇  跡

大正4年に豊中球場で第1回中等学校野球大会が行なわれてから、今年で第87回。全国4000校を越える学校が「甲子園」を目指す。そこには球児たちが白球を追って懸命に走る。ダメと思いつつもガムシャラにプレーする。汗グッショリの顔 顔 顔・・・・。
男泣きの清々しさはいつみても熱いものがこみあげて感動する。
この汗・涙・感動が何十年も変わらない。
高校野球NO1を決めるものでなく、
                 地域代表としての誇りと郷土愛・・・・。
まだ、日本は大丈夫と今年も思うジジです。 
        高校野球統一 テーマ曲「奇跡」


         ”見上げてごらん夜の星を”

8月12日群馬県上野村御巣鷹の尾根に日航機墜落して20年。520名の尊い命が奪われた。
その時、合宿のため長野は飯綱に向かっていた。2トンのロングボティーのコンテナ車を運転して高崎近くにさしかかったころにラジオで知った。今走っている近くであることも分かり仲間もショックを受けた。
坂本 九チャンのことも知った。
最近では焼けこげた山並みも、遺族の方々が植えられた木によって緑に包まれてきたと聞く。
2度と絶対にあってはならないこととして教訓にしたいものです。

       絶対に風化させてはならいと強く思う。
 
  見上げてごらん 夜の星を 小さな星の
            小さな光が ささやかな 幸せを うたってる

    
手をつなごう ぼくと 追いかけよう 夢を
                
二人なら 苦しくなんか ないさ 〜

       ニュースを見ていたらつい書いてしまったジジでした。

          

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2005年8月7日(日)
”スクール オーケストラと
         そのヴァリエーション”   その

         コンクールをのぞいてチョット?
          
        
パーカッションのこと〜

                              NO 21

   さるすべり(百日紅)          城ヶ島の岩場

夏に咲く花の木は種類がすくないのですが、名前のとおり夏の間咲きつづけます。溢れるように、こぼれるように咲くピンクの花はこの季節あちこちで見られます。あそこにも、あんなところにも・・・・。色違いも楽しめます。
城ヶ島の岩場に太平洋の荒波が力強く打ち寄せます。うっかりして波しぶきをかぶってしまったジジ。潮溜まりでは、カニや子魚が遊んでいました。

         コンクールをのぞいて感じたこと
             
           今年こそ!!熱い挑戦

  ”ザ 夏!”といえば、まずコンクールでしょう。猛烈に暑い音楽室を
   閉め切っての練習。窓には毛布を張ったりもしたこの時期の練習。
   全国各地で"今年こそ!!・・・・。”
  
  今回、全国大会につながらない部門の演奏を69校聴く機会が
  あった。
  いずれの学校もステージに立つまでの苦労を察する熱演ばかり。
  大迫力の演奏。生徒も先生も必死・・・・。
      ”このステージで燃え尽きよう・・・・。
      "今年こそ 金賞を!!・・。
                           その気迫はどこも一緒。

  練習時間も思うように取れない。部員もなかなか集まらない。
  トラブルもあった・・・・。
  ご苦労の多い日々。お察しします。

  でも、とっても気になったことがあった。それは・・?!

            

       パーカッションがアンサンブルを壊している


  今回は管などの音色や音楽のつくり等については
                         触れないことにする。



    ☆チョット気をつければ、もっと素敵な楽しい音楽になるのに
 
      
     自分達の演奏を録音とって聴いたことありますか

  
      ・やたらデカイ音のパーカッション
                   これどうにかなりませんかね・・・・。
      ・他のパートが折角よいアンサンブルしているのを、シンバル
       の一発でぶち壊し
      ・メローディーラインがきれいに歌っているのに、サビになら
       ない小太鼓
      ・いつも大砲のような音の大太鼓・・・・・などなど。


           これって結構 耳障り
 
 解釈以前の問題を強く感じた。
 例え、
 アクセントやフォルテと書いてあったとしても、全体のアンサンブルを
 壊してはダメ!。

 
 (ホールの響きが良すぎて・・。つい熱が入りすぎてとか・・・・。)
               これは、あまり理由にはならないと思う。

                             
  これこそ、録音をとって聴くと一目瞭然。
  チョット気を付ければすむこと。 バランスにはくれぐれもご注意を。

 もったいないと思ったジジでした。


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2005年7月29日(金)
”スクール オーケストラと
         そのヴァリエーション”   その8

          楽器の今昔物語
          
        
若潮国体で 超一流品〜
       
                            NO.20

今年も月下美人に会えました。   鐘釣駅(トロッコ電車)から
                         黒部川におりました。


今年は例年になく数個の月下美人が咲きました。真夏の夜大輪の花が香ります。
宇名月駅
から約60分弱で鐘釣駅に着きます。急な下り坂をいくと黒部川。ゴツゴツした大きな岩、ゴーゴーと音をたてて流れる黒部川。とってもさわやかな風と美味しい空気を満喫しました。

     
    
充実していく楽器のこと〜
      
そのきっかけは
     
若潮国体(1973)が千葉県で開催されたお陰で一気に充実することになる。それは当時の吉野市長さんが、“国体の式典には習志野(ボクシング会場)は吹奏楽でなくオーケストラでやる!!”と、早々と準備をされたことによる。

        多くの応援により
         
            

市当局や関係者、地域の方々の支援でどうにか予算の目処がついた。国体を機会にこのオーケストラを応援していただく方々により、数年を経ながら超一流の楽器に整備されていった。

           リヤカーで楽譜代を

もちろん私たちもリヤカーを引きながら楽譜代くらいは、廃品回収をしてそのお手伝いもした。

         まずは、ヴァイオリンから

国体時には、ヴァイオリンとヴァイオラ、それに管楽器はヤマハのインペリアルかカスタム級でそろえた。

弦楽器は大阪の丸一楽器に出向いていった。選定には、上野音楽大学の学生さん2人にお願いした。ヴァイオリンとヴィオラはカールヘフナー製を20本。弓は3万位のものにした。チェロは猪子製(確か四国地方の作家・・・?)と他を数本。コントラバスは茶木製を2本と鈴木を2本購入してきた。

       舶来や一級品の国産楽器

管楽器は羽田空港の近くにあったヤマハ(今は?)にいって選定した。トランペットはゲッツエンB♭管・C管を各2本。ホルンはアレキサンダー2本。フレンチホルン2本。クラリネットはクランポンB♭管・A管を各2本。フルートはムラマツ。トロンボーンはヤマハの最高品。待望のオーボエはマリゴとノブレ。ファゴットはシュライバーとメーニッヒ。といった具合に見事に整備された。

       再度、全国優勝を目指して

例え国体のためとは言え当時としては、部活動で使用する楽器としてはこれだけの超一流品を揃えた学校はそう多くはないだろう。

そうなると新たなプレッシャーが・。それはコンクールで昨年に引き続き、今年も全国優勝しよう!!

          更に奮起を!!

これでまた、ジジの無手勝流による月月火水木金金の日々が続くことになる。

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2005年7月24日(日)
スクール オーケストラと
         そのヴァリエーション”   
その 
    
        楽器の今昔物語
          
          
ヴァオラ”って何!!
       
         〜昭和40年代・・・・・・〜
                            NO.19 

   千倉の海岸             戸隠に向かう途中

    
夏だ !!   海だ 山だ レッゴー!!


いよいよ夏休み。エンジョイプランはいかがですか・・・。
千葉県はお花畑の名所、千倉の海岸です。太平洋の荒波が岩に音を立てて砕けます。
長野県は飯綱から戸隠に向かう途中の緑のトンネル風景。今年も行きます。今から楽しみです。

 

     いよいよコンクール シーズンの幕明け

夏休み!!。NHK全国学校音楽コンクール、こども音楽コンクール、全国学校合奏コンクール,吹奏楽コンクール等々・。只今は各地で、汗だくの猛練習中。      
         ファイト 頑張れ

大曲へ挑戦した選曲や演奏の見事なことにはいつも驚いている。それと同時に、楽器にお金がかかっていることもビックリ!。


             楽器のこと

ジジがオーケストラ指導に当たって当時は、所有楽器にも種類や数に限りがあった。個人持ちは皆無。

ビオラ・ファゴット・ティンパニィーは無い。ホルンはメロホルン クラリネットはプラ管で木製ではない。

ヴァイオリンは鈴木の特1が一台であとはNOもの。数も第一、第二がそれぞれ3プルト位の数。分数ヴァイオリンも
23台あった。チェロが4台とコントラバス2台。いずれも鈴木。

ヴィオラは無い。ヴァイオリンにヴィオラの弦を張って“ヴァオラ”として代用した。

弦はスチールでガット弦があるのも知らなかった。弓にしても毛が薄く、平行棒に近いのも数本あった。駒も指板の方に変形していた。駒の高さの調整されていないため、やたら糸と指板の間が開いているものや極端に指板に近いものなど弾きにくいものが結構あった。指板自体が下がってしまっているのもあった。

管楽器は日管(Nikkan)。発色はあまりよくない。テンパニィーはサイズの違う太鼓を横にして使っていたが、これだけは、銅製のものを2個購入してもらった。

オーボエ、ファゴットはエレクトーンで代用。低音の補強にはエレクトーンの足で。もっぱらエレクトーンに大活躍してもらった。

これでも、スクールオーケストラとして全国に先駆けとして、NHKの電波にのって放送された(昭和26年・4月)学校である。当時のレトロな写真には、ハーモニカやアコーデオンが中心。それにヴァイオリンやチェロ・コントラバスが入った編成。手作り木製の譜面台も写っていた。


またまた今回も古い話ですみません 

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2005年7月16日(土)
”スクール オーケストラと
         そのヴァリエーション   
その6 
    
        
宿坊と交換演奏会
       〜ラデツキーマーチが心を結ぶ〜
                              NO.18   
5月中旬 オタマジャクシや    7月中旬 風に波打つ
        タニシがいました         緑のジュウータン


九十九里の近くで田植えが終わったばかりの風景です。生まれてまもないオタマジャクシが群れて遊んでいました。
緑のジュウタンは東京湾を木更津と川崎を結ぶアクアラインの近くの田園風景です。

            鈍行で長野まで

長野市は善行寺の宿坊に泊ったときの話し。当時の習志野市長(吉野 孝先生)さんのお世話により長野市立柳町中学校他数校と長野市民会館で交歓演奏会をすることになった。

7月末に45日。余り費用をかけないことから、習志野から長野まですべて普通電車でいった。朝出発して、途中の乗り継ぎも多く、待ち合わせに多くの時間を費やした。

結局、夕方近くに到着し、閉口したのをおぼえている。宿は善光寺さんの宿坊。

          
             初体験の宿坊

宿坊での宿泊は初体験。早朝の“お勤め”は免除。当然、精進料理。育ち盛りの彼等には食事だけではお腹は十分に満たされない様子。寝るときは雑魚寝状態。布団は薄い。冷房が弱いのかそれとも子ども達の体温が高いのかとっても蒸し暑く眠れなかった。

大人は涼みと称して権堂通リに出かけることも度々。8時過ぎにはネオンが消えるのにはビックリした。今はどうでしょうか・・・・?。

          今なお現役 ”ドーム型体育館”

練習は善光寺さんにすぐ側で、向かって右にある城山小学校のドーム型屋根の体育館をお借りした。さすが“山の国”、真夏の盆地とはいえどベトベトした暑さでなく過ごしやすかった。

今でも、飯綱山を年に数回訪れるときにはいつもその側を通ることにしている。

          

         ”ジーン”ときた初合同演奏の響き


長野市民会館で演奏会当日。午前中にリハーサル。交歓演奏会といってもお互いに演奏を聴きあうことが中心。生徒達が交流する場面として考えたのが、プログラム最後に参加校選抜による合同演奏。

曲は合わせ易いことから「旧友」。アンコールは「ラデツキーマーチ」にした。

弦パートは“習志野”で、管・打楽器には習志野から各パート1〜2名を入れ、他は長野にお願いした。セッティングの大変さを除けば合奏は比較的簡単に合わせられた。どうても管楽器の人数が多くなりバランスの良い演奏にはなりにくかった。でも、

初の合同演奏の響きは胸にジーンとこみ上げてくる熱いものを感じた。

当時は今とは違って、“ラデツキーマーチ”に合わせて手拍子で楽しむというスタイルはあまり馴染んでなかった。

でもこの交歓演奏会も会を重ねるにつれて
“ラデツキー”を演奏すると会場から自然と手拍子が出るようになり、とても盛り上がった演奏会になった。

     お手製の名詞交換会
         友情の輪がひろがりました。

生徒同士も時間が経つにつれ、お互い仲よくなっていった。誰の発案かわからないがお手製の名詞交換も盛んにやっていた。

演奏会終了後もなかなか解散しなくて顧問の先生方を困らせた。でも音楽を通して素敵な友情の輪が広がっていったことは確かである。

長野市での交換演奏会は毎年夏の恒例行事として4回ほどつづいた。


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sono
2005年7月10日(日)
”スクール オーケストラと
         そのヴァリエーション   
その5 
    
     
合宿のこと  ”山中湖畔で自炊しながら”
            
〜お米と蚊取り線香持参〜

                              NO.17   
    450軒のほうずき店と大勢の人々でにぎわっている
                        浅草寺の”ほうずき市

今日(10日)浅草のほうずき市に行ってきました。浅草といえば雷門。”ほうずき市”は夏の風物詩。江戸時代から今日まで続くもの。この日に観音様にお参りすると4万6千日といって、一生のご利益があるといわれています。450のほうずき店と大勢の人人・・・。でした。


           夏が来れば思い出す

夏休みが近づくと、合宿のことがとても懐かしく思い出される。

寝食を共にすることで、生徒も顧問も学校では見られない様々な姿を発見。そのことがお互いの距離を近づけることもたくさんがある。普段、話せないようなことも合宿では話せる。

時には、就寝時間を守らなくて“正座”。説教の声が大きくて睡眠不足にさせてしまったこともあったジジでした。

   はじめのころ 〜山中湖畔の別荘で〜

 

コンクールでの成果も次第に上位を得ることになる。当時の勢いも手伝って“泊まりで集中練習しょう・・・”ということになった。

当時は部活動で合宿することはあまり聞かない頃。しかし、保護者や学校の理解を得て、夏休みに2泊3日の合宿を実施することになった。

引率には同僚が応援してくれた。持ち物は、必ずお米をもっていった。蚊取り線香は必需品。

合宿地は山中湖畔の習志野市の別荘?があった。別荘?とはいえ、木造平屋20畳2間。5人〜6人が一度に入れるお風呂。簡単な炊事場には、大口2個と小口1個のガスコンロ台。外にもキャンプ用の炊事場があった。夜は網戸と蚊取り線香が頼り。


寝るときは男女の間に先生達が寝る。これは先生達のイビキがうるさくて生徒達には不評だったよう。(後に分かったこと・・・)

      とっても美味しかったです。
             
空腹にはかえられません・・・。
               

メニューはカレーライス・焼きそば・おにぎり・冷やしそうめん・ソーセイジ・湯で卵・味噌汁に持参のふりかけ。これを日替わりで献立を立てる。調理は引率職員と生徒(女子)の当番による。男子は後片付け専門。定番のメニューとはいえ、人数が多いのでそれなりに時間がかった。当番に当たると練習時間はかなり削られることになる。

        集中練習になったのかな・・・??


練習は前庭(荒れた砂地で湖畔に向かって勾配のある)と2間の部屋。音取り用にアコーディオンを各パートに用意した。

自主練習といってもリーダーもあまり育っていないし、人頼みの練習。音が合っているかどうかも不確かな状況。ボーイングや左手のポジションも手探り状態。金管などは周囲に気がねすることなく、ともかく “・・でかい音をだせ!!・・。富士山に向って・・・。ただただ気合あるのみ。

結局、”全員集合・・!!”。全体合奏になってしまう。

     
       やっぱり最後は”無手勝流”でした。  

うまくいかない時の最後の一言“頭を使え・・・。”“できるまでやる!!・・。



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2005年6月27日(月)
”スクール オーケストラと  
      その ヴァリエーション” その4

     〜 ユニゾンがなかなか
             きれいにならなくて・・・。〜
     
      
フレットヴァイオリンはないのなか・ 
                            
NO.16

         凛とした真っ白な”花菖蒲”
                               ジジの庭にて 
 

デパートの催事場でいただいてきた鉢植えの苗が見事に咲きました。気品の高い花菖蒲の花は初夏の日本情緒を満喫させてくれます。花が終わったら植え替えをして大切に育ててたくさん増えたらと思っています。



        ”ボーイング”の
                 次は”音程”を・・・!!

  

コンクールの批評は、”ボーイングも揃ってきれいになりましたね・・・。今度は音程がもう少し安定すると更に素敵ですね・・・。と次から次へと指摘される。

大学入試でも聴音が最も苦手なジジとしては、四苦八苦の連日。”耳の悪さは誰のせい・・・・♪〜。

はじめはオーケストラといえども、リード楽器を中心とした編成。アコーディオンにヴァイオリンがかぶって演奏する。大変有効な方法で、ヴァイオリンにとっても助かるし音程の悪さも余り目立たない。
次第に弦楽器が増えてくると”音程”の苦労は
                       結構キツイ!!

そこで考えたのが・・・
  
スクールオーケストラ用弦楽器って
             ないのかな〜〜・・・・・???。”
                  
(怒られそうですね・・)

   フレットヴァイオリン
           いかがでしょうか???)

     セロハンテープやシールが活躍


ヴァイオリンにもギターのよう指板にフレットの付いているものがあればな〜と真剣に悩んだもの。

指板にフレッドのように糸をセロテープで貼った。でも、チューニングも不確かな状況では糸は都合よく真横に貼れない。シールを貼ったこともある(シールの大きさがポイント)。


例えポジションに貼れたとしても、今度は指の微妙な押さえ方により音程も微妙に違う。構え方でネックが下がると♭気味。ネックを上げてといっても顎は痛いし疲れて長く続かない。


ヴァイオリンはどうにか合わせられても、ビオラ、チェロ、更にはコントラバスになると太い音などに惑わされてしまう。

ハーモニックスでチューニングするなどとは後のまた後。


なんとかそれらしく音合わせができ、ADGE(C)と一本ずつ合わせる。次に音階練習に入ると“ものすごい〜・・・”ユニゾン。

思わず、耳を塞いでしまう始末。また、最初からやり直し。挙句の果て“おまえ達は耳が悪い・・・”などと叱る。


      ア〜 何時の日か  あの響き

コンサートマスターが立ち、オーボエのA音を受け、弦からチューニング。あのなんとも言えない響き。

    日頃のわずらわしさを忘れさせる
          オーケストラの響き。

あの響きを実感できるのはいつの日か・・・・・・。


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2005年6月19日(日)
”スクール オーケストラと  
      その ヴァリエーション”
 その3
     
         
〜できるまで ヤレ!!〜  

            
 ”苦悩をつきぬけ歓喜にいたれ”   
                            
NO.15 

千葉県多古町栗山川畔      お久しぶりです 
   1万株約4KMのアジサイ
      ジジ君も元気です!!

広報誌で多古町のアジサイのことを知った。栗山川畔にそって「道の駅」がある。時期がチョット早かったようだが、それでも雨に濡れた素敵なアジサイを楽しんだ。  現在5分咲きとか(町役場調べ・・)


         無手勝流・根性主義練習法


    ダルマストーブが懐かしい・・。
        煙突掃除で、鼻の穴まで真っ黒。

兵舎利用の校舎。音楽室の真ん中には柱が3本。冬季には黒板左前にダルマストーブとブリキ製の石炭入れが置いてあった。ストーブに火をつけて部屋を暖めておく。生徒達はほのかに暖まったころに登校してくる。これがジジの日課。

   月月火水木金金 
          ともかく無我夢中 

練習は月月火水木金金。休みはお盆の一週間とお正月の4〜5日程度。練習も早朝から夕方は暗くなってからの下校は頻繁だった。

 無我夢中のジジ。ただ、楽器一つ何もできないジジとしてはただ時間をかけて、繰り返し練習させるしかなかった。専門家から “こんな難しいことがどうしてできるの・・信じられない・・”と言われたことも度々。


     できるまでやる・・・。
          日々 この練習のくりかえし


 10回やってできないのは100回練習!!・・・ できるまでやれ!!。”“できないなら、合奏に入るな・・・、廊下で練習してろ・・・”等々。ただただ気合のみでやってきたようなもの。ピアノを少々弾けるほかは何一つ演奏できないジジにとってはこの方法しかなかった。こんな無手勝流根性主義でも子ども達は必死についてきた。あまりの下手さに“もういい!練習止めた・・・。”といって音楽室を出ると、子ども達は追いかけてきた。“・・・頑張るから 教えてください・・・。”

練習態度が悪いので、休部!!。”等といったら大変なことになる。休部のはずなのに音楽室にいくと必死に黙々と練習している。

帰れ!!“と追い出すと自分のクラスで練習。担任からはクレーム。挙句の果てにはコントラバスまで家にもって帰り練習。今度は保護者から”・・うちの子が練習しないのが悪いのですが・・・。近所迷惑になりますので・・・“

部長やパートリーダーが練習をお願いします“と毎日のようにきた。部員とも何度も話し合った。そしてようやく練習を解禁。久々の合同練習。ジジのほうも多少のテレと緊張を感じながら指揮棒を振り下ろす。たまらない一瞬だった。

練習していく中で、彼らと熱いものが通じ合うのを感じ、また、いつもの無手勝流にもどる。

そして、しばらくするとまた同じことをくりかえす。


このような日々が忘れられなくて、ついつい部活動にも青春?を燃やしてしまった。


      "苦悩をつきぬけ
               歓喜にいたれ”

それに比べ、練習時間の確保や価値観の多様化などで大変苦労されている今日。部活動にも情熱を燃やしてきたジジとしては複雑な気持ちである。耐性の欠如のことも大変気になる。

逆境に負けない強い 人間づくりの一方策に部活動は極めて重要な意義をもつと確信している。現代社会の様々な病理現象の解決になるのではとも思う。“鉄は熱いうちに・・”。“人間、鍛えるときにしっかり鍛えておけ・・。”としきりに思うジジです。

 ファイト ファイト  ファイト  ・・・・・・・・!!
 

また、一言多すぎたようですネ・・・・・。


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2005年6月8日(水)
”スクール オーケストラと  
      その ヴァリエーション”
 その2

      
ジジ流”ボーイング基礎練習編”

     
         〜弓の握り方から右手の動きまで〜

                                N0.14

 九十九里町のシンボルマーク       九十九里の浜辺

約66Kmに及ぶ砂丘の海岸線。その規模日本一。高村光太郎と[智恵子抄」。また、”いわし”の豊漁地。もちろん町のシンボルマークは”いわし”。昔は大衆魚、今は高級魚・・・?。
ジジはこの近くの東金市で初任をむかえました。生徒達とよく遊びにいった懐かしい浜辺です。地引網で取れた魚をその場で海水で洗い、冷や飯に味噌少々。魚をちぎって入れ、それを混ぜて食べたのがとっても美味しかったです・・・。



   無手勝流によるボーイングの練習です。

ヴァイオリンの弓の握り方(あくまでも自己流ですが・・・)。親指と中指を軽く合わせ、親指先を少し内側に傾ける。そして中指の第2関節の内側辺りに軽く当てる。その時親指はつっぱらないこと。

人指し指は弓を握りしめるように力を入れないで自然にそえた状態。

右手首の力を抜き、卵を握ったような形で、軽く握る。手首は柔らかくアップ・ダウンが円滑にいくようにする。

これが超!! 難しいのですが・・・・。)


小指はさお(スティック)の重みを支える感じで、ねじ(スクリュー)とフロッグ(毛箱)の接点の上ぐらいのさおの真上にやや丸くして置く。


この状態で弓を真横にして小指で支えられればOK.


当時使っていた、さおの弾力性はほとんどなく、ねじを巻くとさおと毛は“平行棒状態”。

弓は駒と指板の中間あたりを弦に対して、ほぼ直角に上下運動。

ところが弓は弦の上を横滑り(斜めに・・)してしまう。直角に動くようにするために、右腕を外に押し出す感じでダウン。ダウンの状態でアップすると糸の上で弓があばれてしまう。アップは手首を身体に近づける感じでやると概ねうまくいくように思った。


ボーイングの練習でよく利用したのが、黒板。


ネックを黒板に押し当て、弓の動きの練習。手首は柔らかく
,腕の高さは弓と平行を保つなどに気をつけながら大きな動きをさせた。

黒板ではできても、いざ顎あてで支えて弾くとなると楽器の構え方などと関連してうまくいかない。

この繰り返し。



  ”スケーターズ ワルツ”でレベルアップを!!

朝練にいくと音楽室や廊下の壁に向かって必死にボーイングの練習をしていた姿を今でもはっきり覚えている。これは練習のはじめに必ずやっていた。どうにか格好がついてくると音もよくなってきた。ボーイングのチェツクに「スケーターズ ワルツ」をよくつかった。私がピアノを弾きながらヴァイオリン ヴィオラ(途中から) チェロ さらにはコントラバスまでユニゾンで音程のチェックも含めて繰り返し練習した。全体・パート・あるいは個人と結構きつい練習をした。


でも
響きのあるいい音で、しかも弓が上下に揃って見た目にもきれいな演奏ができる日は・・・・??。

 
 以上がジジのボーイング指導の実際でした。
   荒っぽい練習でどうもスミマセン・・・。


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2005年5月30日(月)
”スクール オーケストラと  
      その ヴァリエーション”
 その1
            
                ”チューニング”

                               NO.13

  ベニバナトチの木           谷津バラ園にて


”寿合唱団”(平均年齢82・2歳  常任指揮者”ジジ”)の新入団員と歓迎・親睦会で巨人軍発祥の地”谷津バラ園”に出かけたときのスナップ。

今朝、北は北海道で花の大地”新得町の梅”が2分咲きとか。1800本の梅がこれから見ごろ。日本で最も北で見られる地。

熊本県阿蘇では”すずらん”が華麗な花を楽しませてくれるころ。日本最南限の”野生すずらん”の自生地。
今年はどうですかね・・・・。



  ”ミ、ラ、レ、ソ” 
       ”ソ、レ、ラ、ミ”って
・・・???!!

大学時代は声楽専攻(迷?テノール)。副科のピアノもヤット。歌だって男だったからどうにか入学できたもの。バイトを中心に専念した“ジジ”だから音大卒とは名ばかり。実力の程は概ね察しがつくところ。着任した学校は当時“スクールオ−ケストラの発祥の学校”と称されるところ。

確かに、本校がNHKラジオでオーケストラ演奏(リード合奏に弦楽器と管楽器を加えた編成)として大昔紹介されたという歴史を知ると納得。

一方、ピアノ伴奏もままならない状況で“オーケストラの指導など・・・!!”


弦楽器・管楽器の既習経験はゼロ。
調弦など実際したこともない。ましてや完全5度の響きで合わせるなど“トンでもない話し・・・・。

まずは、オルガンの音を聞きながら一本一本の糸をその音に合わせていくのが精一杯。微妙な音色の変化にも惑わされてしまう始末。例え合ったとしても糸巻きが緩んでしまい思うようにいかない。
緩まない弦の巻き方も随分練習した。

合ったつもりでミ・ラ・レ・ソと確認してみると"なんだかちがうみたい。どうもシックリこない。

つまり”合っているのか、合っていないのかよく分からない・??。のである。

ヴィオラ・チェロ。更に、コントラバスになるとコンサートマスターの音に合わせるなど至難の業。やっとチューニングが終わったら最終下校時間。

  先行き不安な毎日の“ジジ”でした。


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2005年5月18日(水)
  ホ〜〜ケキョ・・・・????
     
       
只今 練習中!! 
          
            仇をとられてしまったジジでした
                               NO.12

    ”山  藤”            ”三つ葉つつじ”

新緑を探しに行ったとき見つけた見事な”山藤”と鮮やかな”三つ葉つつじ”。なんと清々しい春風。新緑の香りを楽しみながら散策していたら・・・・・。


ケキョ ケキョ ケキョ・・・・”ケ”にアクセントを強調するのと、そうでない唄い方は技能の差なのか、それとも鳥柄?なのか不明。

心細く
ホ〜の後に崩れたリズムでケキョ”。練習を重ねるとホ〜〜ケキョ・・。”

彼らの鳴き声を聴くと、初心者か練習中、それとも自信たっぷりで喉を聴かせているのか大体分かる。

ジジが口笛で鳴き声を真似すると、すかさず真似して応える。

移調や音進行に変化を加えて発信すると、少し間があるが概ね返してくる。口笛の調子が悪いことを悟られると彼らは一段と声高らかに
ホケキョ・・・・名調子!!。"

”ベテランになると彼らのバリエーションも一段とさえる。かん高く
キョ キョ キョ・・。”と連打しながら上下にポルタメントをかけ、最後に・・・・。”ホー”にクレッシェンドをかけながら表現豊かに  ”ホー・・・・・ホケキョ”。

更には、ピッチや音色まで変えて挑戦してくる。

初心者とあなどっていたら仲間にしっかり仇を取られた感じ。



鶯の鳴き超えを聴いて、ジジの第2のふるさと。長野県飯綱山で彼らと遊んだ?(もしかして・・・遊んでもらったのかも・・?!!)時のことを思い出したジジでした。



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2005年5月2日(月)
"音楽で泣き、歌声で泣き、物語で泣き、さらにラストでも・・・。” 
           
今、話題の映画 
 
  「コーラス]
     "LES CHORISTES
を観て
 
                                  NO.11
 お伝い橋の売店近くの”藤”  潮入の池から中島の御茶屋方面


GWの中、充電中のジジが行ったところ!!

その1 

          「浜離宮恩賜庭園


浜離宮恩賜庭園。ここは徳川将軍家の庭園。海水を引き入れた池とふたつの鴨場を持つ、江戸時代を代表する大名庭園。ボタン園も見事。
都心とは思えない空間を満喫しました。

   


その2
     「コーラス]
         "LES CHORISTES
から

          「奇跡の歌声」に魅了!!

                       〜プログラムから〜

フランス人の7人に一人が観たこの映画。聖歌隊「サン・マルク少年少女合唱団の澄んだ歌声は、まさに「奇跡の歌声」。中でも特筆すべきは3000人以上の候補者から選ばれた主役のジャン=パティスト・モニカのボーイソプラノに完全に魅了され、また、一人の音楽教師の生き方に心が揺さぶられ、今夜は眠れそうにないジジです。


  
 〜ひとりの音楽教師と子供たちが織りなす、
                  切なくて美しい物語〜

問題児の収容施設"池の底”に新しく赴任した中年のさえない音楽教師とのドラマ。その先生はいたずらばかりする子供たちを叱る代わりに歌を教えようとする。歌を通じて生きることの素晴らしさ、愛することの尊さを伝えられたら・・・。やがて先生の無償の愛は、子供たちの凍えきった心を溶かし、青白かった子供たちの頬が喜びでバラ色に染まり・・・。でも・・・??
        この後は、是非劇場で観てください!!。

監督のこと

音楽院で学士号、国際コンクールで様々な賞を受賞している、監督・脚本のクリストフ・バラティエは[
私は音楽と映画が結びついた作品をどうしても作りたかった」と語っていた。物語は一見暗そうに感じるがそれは全く感じられずタンタンと進んでいく。彼の経歴と音楽に対する想いを重ねるとこの監督ゆえに完成された見事な仕上がりに納得し、癒された。
 
        
          
  このエンディグが”ジジ”の下記につながります。


 
 〜音楽教師でありつづけたことの大切さを感じた〜    
   
  ”こんな先生に会いたい!!”
                 "こんな先生でありたい!!”

物語では手に負えない子供たちに一人の教師がただひたすらに子供たちを愛し、音楽を教え続ける姿に次第に感動していく場面が”ジワ ジワッと描かれていた。

でも、このようなドラマは日常的に頻繁な出来事。自問自答の日々・・。

誰もが「こんな先生に出会いたい!」と願うし、誰もが”こんな先生でありたい・・!!。と願って頑張っている日々。

          と思っていたが・・・・??

この映画に自分を重ねて振り返った時。当然映画のようには行くわけも無いが、音楽教師として無手勝流であろうと音楽一筋でやれてこられたことに感謝の気持ちと、チョットだけホッとしたジジです。
改めて音楽教師であることに幸せを感じます。

お勧めです。是非 観てください。
  "感動  感動  感動 ・・・・。そして癒されます。きっと!!


                         
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2005年4月26日(火)
”たぬきばやし” 
  
    
「證誠寺」それとも
                「証城寺」
??!
                                  NO.10

    春風をいっぱいに          狸ばやし童謡碑

千葉県房総半島のど真ん中に養老渓谷がある。そこは四季折々の様を楽しませてくれる。その近くで春風をいっぱいにお腹にうけながら元気よくおよいでいました。また、"千葉県民話を訪ねる会”に参加した時のスナップ。小さな狸がとってもかわいかったです。

碑には楽譜が刻まれていました。



   
 鐙誠院のぺんぺこペん、
            
俺らの友達ゃどんどこどん


東京湾を挟んで神奈川県川崎市と千葉県を結ぶ海のかけ橋がアクアライン。千葉県側が木更津市。この市に”証城寺の狸囃子”の舞台になっている”證誠寺”がある。野口雨情が講演会でこの地を訪れ、”證誠寺”の伝説を聞き大変おもしろい話と一夜で書き上げたのがこの詞とのこと。それに中山晋平が曲をつけた。その時,なぜ雨情は"誠寺”でなく”証城寺”にしたのか・・・?。
       
           そこが問題だ!!・・・。


            たぬきばやしの伝説

ある秋の晩、寝ていた住職がふと眼を醒ますと,
              何やら表がざわざわ騒々しいと
                   戸の節穴を覗くと・・・・・・?


         何とそこには大小100匹程の狸が行列で

   
    ”證誠院のペんぺこぺん、 
           俺らの友達ゃどんどこどん



と唄いながら踊っている。おなかをどんどん叩いたり・・・・。
     住職さんも一緒に”ぺんぺこぺん、どんどこどん・・・。
                        三日三晩つづきました。
 
               ところが

4日目の晩、狸たちが現れない。     
  翌朝、本堂の近くでお腹を叩いていた一番の大狸が(お腹を叩きすぎてか・・・?)
                  お腹の皮が破けて死んでいた。

    そこで、住職は哀れに思いその大狸を葬った・・。とさ・・・・・



前回につづき野口雨情と中山晋平の登場でした。


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2005年4月17日(日)
    春 爛 漫     
            素敵な出会いでスタート!


                               NO.9
 
          日立市の平和通り桜並木

 ☆JR日立駅で下車。海側の反対に降りる。国道245号線に向かって約1Km続く平和通りの115本のソメイヨシノが花のトンネルを作り出していました。中間の交差点上の陸橋からの眺めは格別です。

 太く黒光した大樹に見事に咲いた桜の色とその質感のすごさに感動し、ついついデジカメのシャッターを押してしまった”ジジ”です。
 

 梅の水戸「特に有名偕楽園」、桜は日立!!
               
 
桜が街をピンクに染める日立       
                   "チョットPRし過ぎですね”

16日(土)に立ち寄ったときのスナップです。

三寒四温。桜前線も北上中

立山黒部アルペンルートは今日(17日・「日」)全線開通。
”雪の大谷”の雪の壁の高さは15M。とか・・・・。

また

宗谷では最高気温  4度   最低気温   2度
沖縄では  :    24度       :   20度 

黄色の鮮やかなタンポポフキノトウ”は?・・・。 
                 地方ではいかがですか


”竹の子”はまだかな・・。”
毎年、教え子が届けてくれるのを心待ちしているジジです。

”ジジ”の花壇にはパンジー、ノースポール、それにスイセン、。ようやくチューリップが咲きました。月並みですが狭い花壇に結構にぎやかに咲いています。




☆この頃になると
長野県飯綱山長野市から行くと戸隠の手前)のことを思い出します。この地を訪れる楽しみの一つに大久保の茶屋(皇室の方も立ち寄られた蕎麦屋さんです・・)があります。

タラの芽の天ぷら・岩魚の塩焼き。それにお酒を少々。そして最後にお蕎麦をいただく。定番のコース。

新芽の芽吹きの香りと空気が全く違うのがとっても心地良い

今年も”行けたらいいな・・・・。”と思っている。



新学期が始まって10日。不安と期待のなかでスタートしたのは先生も子ども達も同じでしょうか・・・・・。
”今年のクラスはどんな様子かな・・・。”
”担任の先生?・・・。 

一方
先生方や子ども達にとっても、いろいろと厳しい環境だと思います。

でも、
音楽教師になった頃の”初心”を大事にして頑張ってください。”音楽大好きな子”をたくさん育ててください。
新学期も素敵な出会をいっぱいしてスタートーされたことと思います。

豊かな音楽活動を通して、真の音楽の美しさや楽しさを体感できる授業が益々期待されるのでしょう。

       またまた、一言よけいなことを・・・・。失礼しました。


追伸

今回は音楽のことに触れていませんでした。
チョットだけ

野口雨情のこと


野口雨情は茨城県(北茨城)生まれ。北原白秋・西条八十と並んで三大童謡、民謡詩人。
作品
 [七つの子」 「兎のダンス」 「シャボン玉] 「十五夜お月」・・
 「証城寺の狸囃子」・・・・・。

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2005年4月6日(水)
ご入学おめでとうございます。
     
  
めだかの学校“派 
            
それともすずめの学校”派


   桜花の下を通る              ようやく咲いた
       ピカピカの一年生           シダレザクラ(バラ科


千葉県習志野市にある谷津遊園跡地につくられた公園の風景です。巨人軍発祥の地でもあります。

あなたは ”めだかの学校”派
         それとも”すずめの学校”派ですか!?



            入学を迎えて


チョットお洒落をして、チョッピリ緊張気味なピカピカの一年生。
校門では記念写真をパチリ。不安そうに見るクラス発表の掲示板を覗く顔 顔 顔・・・・。
でも、千葉ではこの日を待って桜の花が一斉に咲き入学を祝福してくれました。

   共に 、ワクワク・・・ドキドキの瞬間です。

夢と希望をもって心豊にたくましく育ってほしい
                   ただただ願う”ジジ”です。


先行き不透明といわれる今日。誰もが願っている”わが子の幸わせ”。
真の幸せについて、社会全体はもとより、家庭でも話題にしてみるよい機会かも知れません。

      すずめの学校の歌詞
                 [清水かつら作詞/広田龍太郎作曲]

    ちいちいぱっぱ ちいぱっぱ
      すずめの学校の先生は
        
むちをふりふりちいぱっぱ
          生徒のすずめは 輪になって
            お口をそろえて ちいぱっぱ
              まだまだいけない ちいぱっぱ
                も一度一緒に ちいぱっぱ
                  ちいちいぱっぱ ちいぱっぱ


追伸

☆原曲と本文とは全く関係ありません。
☆年甲斐もなく昔を思い出してチョット熱くなってしまった
                             
     ”ジジ”です。

  今年度もよろしくお願いします
                                  
つづく
           
                          トップへ戻る


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2005年3月26日(土)
   雪が溶けたら
                   "春が来る"
先日、千葉県白浜に春探しの小旅行に行ったときのスナップです。

暖冬と言われながら、予想を超える大雪。ラッセル車が脱線したニュース。”こんな話し聞いたことない・・・。立山黒部アルペンルート室道付近の”雪の大谷”の景色を楽しむ日はいつごろでしょうか・・・。長崎県諫早では野焼きがはじまったとか・・・・。
春の足音は確実にそこまできているようです。


でも、天気予報で”真冬並の寒波が・・”の話を聞くと、水害や地震等で被害に合われた方々のことを思うと、心が痛みます。

春はまだまだ先のことですね・・・・。

子どもに”雪が解けたら・・・?。と聞いてみました。
その答えは・・・・??。”水”になる。これでしょうかね。
確かに正解。

もし、こんな答えが返ってきたらいかがですか
        
        雪が溶けたら、春が来る!!

とっても素敵な表現だと思いませんか・・・・・・。。

雪深く厳しい寒さのなか、今か今かと春を待っている心の様を感じます。
 
 
 
うさぎ追いし かの山  
      小ぶなつりし かの川
          夢はいまも めぐりて  

              
忘れがたき ふるさと
  
 


                           つづく
2005年3月20日(日)
    チンチン電車のこと
             ーさまざまな人間模様を学んだー

    ”昔は15円 ”       ”今は160円”

黄色の都電(都バスもこの色)は、小金井公園の「東京江戸建物館」の中にあります。板張りの床が懐かしかった。

右の都電は現役です。早稲田から三ノ輪まで走っている都電最後の一本です。おしゃれなデザインです。

時代が変わってもチンチン”の音で発車していきました。

黄色いチンチン電車は一回どこまで乗っても15円。神田の古本屋街の古賀書店、本郷三丁目で外版専門店”アカデミア”(先日行きましたがありませんでした)。もちろん、銀座の山野楽器やヤマハに行くときは必ず都電を利用した。
当時はすでに交通渋滞が話題にさせるころであった。庶民にとってはスイスイと走りぬけ大変便利な乗り物。
高田馬場から早稲田までをよく使った。トロリーバスにはほとんど乗らなかった。

寮が早稲田、大学が江古田。池袋は中間地点。休講のときは、池袋の喫茶店”田園”にいきクラッシックを聴き時間を過ごした。アルバイトの関係からも都電はよく利用した。

夜のアルバイトも初心者マークのころは浅草、錦糸町、川崎、大崎など山の手線の外回りが多かった。若葉マークのレベルも少しアップしてきた。すると池袋、渋谷や新宿に声がかかる。晩年のころは銀座や六本木のクラブでビッグバントのヤノピ弾きを経験したこともある。スマイリー小原とそのビッグバンドが活躍していた頃。最高に高いギャラをもらったのは赤坂のTBSの近くにあった”クラブリキパレス”のソロピアノはグッドでした。

”月世界”・”クラブハイツ”系の名前は今でもありますかね・・・。古い話です。

植木 等が”サラリーマンは気楽家業ときたもんだ・・・。」    とか”1万3800円・・・・。などとサラーマンの月給を風刺した歌が流行ったころ。

ギャラはよかったんですよ。ツェマン ゲセン位からツェマン オクターブは普通でした。C調な私でもイーマンを超えるくらいもらったことも時々あった。

バイトが終りの電車の中はさまざまな人間模様を感じながら山の手線と都電に乗り継ぎ、早稲田に帰った。


多く利用した路線
     1系路 品川駅 〜上野駅  
    15 :  高田馬場 〜 茅場町
    17 :  池袋駅前 〜 数寄屋橋          
    32: :  荒川車庫 〜 早稲田
    39 :  早稲田 〜 厩橋
   102 :  池袋 〜 品川
   103 :  池袋 〜 亀戸
   104 :  池袋 〜 浅草雷門 

”懐かしく感じられる諸氏もおられることと 
                  と想いますが・・。”


古い話ばかりでどうもすみません。    つづく
                       
                    

2005年2月28日(月)
コードネームは優れもの!

 
簡単に楽しめるアンサンブル学習           
       〜スリーオー(3、O)システムのこと〜

"菜の花"
千葉県の花です。

2月中旬に音楽仲間と房総(御宿)に行きました。民宿「浜野丸」は今年で8回目。テレビでも度々紹介される。.
囲炉裏で”アワビ”や"伊勢エビ”・・・を焼いて食べる味は絶品。帰りの”お花畑”のスナップです。


♪春よこい はやくこい〜♪
まだまだ、春は遠いようです・・・・・。今は花よりストーブが一番!。散歩の時間も益々少なくなり、ただただ肥満が心配な今日この頃のジジ君です。


 スリーオー(3、O)システム
             の話しです


簡単にして誰でも楽しめるアンサンブル学習にとっても有効です。(少人数指導に最適

キーワードは余り難しいことを言わないこと。まず音を出して、明らかに不自然なときにのみ合う音を探して解決。


オルガンポイント・オスチナート・オブリガートこの3つを総称した言葉。雑駁な言い方をすれば、

オルガンポイントとは根音奏と考えればよい。つまり、コードネームの頭の音を低音(バス)として使う。リズムは単純から発展へ。慣れれば音も根音から5音・3音と追加し発展。

オスチナート
リズムを同型反復で繰り返し、音は根音を基準にしコードの範囲で動かす。変化をつけたいところは、リズムの形を変えてやる。

オブリガート
基本的にはメロディーに3度を中心にし6度の音をを重ねていく。当然、4度5度の合えばよし。おかしいところをカッコいいハーモニーやきれいな響きの音を探していく。リズムについては最初はメロディーを同じにし、次第に変化させていく。多少、不響なほうが全体としてはよい場合もたくさんある。

とても乱暴な話しであるが第15回関東音楽教育研究会「関ブロ」栃木大会で提案したことで、当時は結構好評で多方面での実践が多くなされました。

これに似たような指導の工夫はたくさんあります。東京は””目黒のサンマ”をテーマーに公開研究会でもそれに近い内容でした。要は簡単にして誰でもできる楽しいアンサンブル学習を目指していました。

それにしても、コードネームを考えたひとはノーベル賞ものだと思う。若者の姿にそれを感じるジジです。

                       失礼しました。
2005年2月17日 (木)
”コードネーム”って
                     バイト編

信州は鏡池からみた戸隠!    散歩中の”ジジ”君です。
    ”第2のふるさと”です       まだまだ北風が寒い

戸隠の荒々しい山並みがとても好きです。この山の近く書くにある飯綱山には20数年前から年に数度訪れるところです。夏はオーケストラ合宿、冬はスキー合宿。鏡池入り口の「蕎麦の実」というお店の蕎麦は絶品です。

お気に入りのバンダナで散歩。でも寒くて耳が立っちゃいました。でもこれがボクの日課です。初老ともなり多少肥満気味。ダイエット食品は”味”が今ひとつ・・・。わかっているけどついついお気に入りの”ネコだいすきフリスキ”が一番!!


Dm/Dm/Gm/Gm   ”え”
これが
  
ベッサメ・ムーチョの伴奏譜?!

コードネームって

寮の食堂に張ってあるアルバイトの案内や先輩・仲間の口コミでバイト探しをする。土日中心では収入面でどうも。そこで音大の先輩に相談し、始めたのが”夜のバイト”。つまりナイトクラブ(チョット古いかな・・・。)のバンドのピアノ弾き。先輩から見せてもらったのがA5版の分厚い楽譜。開けてビックリ。曲名 基本リズム(ルンバ・マンボ・タンゴ・・・)それにコードネームで 
 
上を向いて歩こう
 
 F/Dm7/F/Dm7/F/Am/Dm7/C7/F/Gm7
 
ところどころに
   Soloメロディーが書いてある。
 最高にマイッタのが
   アドリブ。 コードだけ書いてあるだけ。これにはダルマサ状態。


○ 愛読書?からの脱皮

今でこそ、教科書にもコードネームがあるが昭和30年半ばでは皆無。階名のCDEF・・・・程度。コールユーブンゲンやコンコーネ50番。それに新撰 イタリー歌曲集(東京音楽書院版)、世界大音楽全集 声楽篇 全三十巻(音楽之友社版)、聴音練習(下総皖一著)をバイブルとし、楽典を少々程度の私。

レッスンの勉強どころでない。死活問題。ともかく必死になりコードネームを憶えた。音大の練習室で”あ〜あ〜”と聞こえるのに、隣の部屋ではコードを使って加藤茶の”あんたも好きね・・。”(曲名はマイショールです。)などの練習に夢中でした。難しいコードはごまかし。アドリブを除いてはC調(下手のこと・・)ながらどうにかなった?。


 バイト探し

後はバイト探し。トラ探しの情報をうまくつかむことがポイント。この世界(当時は)では隠語といって逆の言い回しをすることが多い。つまり、ピアノをヤノピ。ベースをスーベ。感情表現も”どうもマイナーでね・・”とか,今日のデートはディミニッシュで・・・。
このような会話をしている仲間とよく付き合った。仕事も回してまらった。
仕事が無いときは、先輩から写した分厚い楽譜をもって東京駅八重洲口のある所に立つ。するとトラ探しから声をかけられる。


○ C調なピアノ弾き

トラ探しの方もともかくC調でもまずはよし!といった程度からソロの腕前までグレードは様々。”どの程度かな・・・・。”の値踏みがされ商談成立。
指定させた店に5時〜5時半位に入る。といってもリハーサルがあるわけでもない。全員プロだから。アドリブもサラリ。

でも、C調が一人でもいるとどうもノリが悪い様子。

付点四分音符2つに四分音符1つ。楽譜としては簡単なんだが二つ目の付点四分音符と最後の四分音符のノリが微妙に違うようでよく注意を受けた。ラテンものでクラベスのリズムによく使われるもの。メンバーの”困った奴だ”という雰囲気がビンビン。

アドリブになれば最悪。”レコードをたくさん聴け”といわれたり、先輩に教えてもらった。しかし、センスの前に指がよく回らない上に、独特なリズムに乗れなくてバンドに迷惑をかけた。

でも
この経験が30数年の現場で大変役に立つことになる。

生徒の声
    先生の伴奏はチョット変だよな・・・・・・。


                          次へつづく

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