2011年12月10日(土) 〜受け継がれるもの〜 最終章への足跡B 連続皆勤50回出場表彰に感動 NO 283 |
1967年(昭和42年)
習志野一中オケ
・オーボエやファゴットの代用に活躍したエレクトーン。その前にはダルマストーブの煙突。
・兵舎を利用した音楽室。教室に柱があった(右端)。
・明後日(12日・月)に第50回(平成23年度)全国学校合奏コンクール全国大会(主催:日本教育音楽協会)が東京(ヤマハプレゼンテーションルーム)で開催される。この大会をもって50年間のコンクールも終幕をむかえる。
・習一中はスクールオーケストラの発祥の地(1951年)として設立。当時、NHKより放送。当時の指導者は高橋正夫先生(元上野音楽大学教授)が指導され、第一回コンクール(1962年)から出場。その後、高川進作先生(元学習院から現在上野学園大学に勤務へ)。そして、1967年(第6回)から12年間ジジが引き継ぐことになり、このコンクールに出場した。
・”ジジの音楽武者修行”の大半は、この学校で出会った仲間のことである。今尚、音楽を通して多くの仲間達や先生方との出会いによりパワーももらい元気にいられる原点はこの写真からすべてが始まっている。
・”時代が時代だから”といってしまえば簡単だが・・。はじめは入賞から県代表を狙って、次に、関東甲信越の代表から全国大会出場と・・・。そして、全国優勝し町中が喜んでもらった。次は全国優勝することの責任のような気持を感じピリピリしていた。3年連続すれば、優勝旗が学校に永久に贈られる年に羽田中学校(愛知県)に負け悔しい思いをいたこともあった・・・等々。
・つまり、オケの仲間との日々の必死なかかわりがジジ教師を育ててくれたことは間違いない。その仲間達も50歳?近くになろうとしている。いまだに、ジジへの温かい気遣いは感謝の気持でいっぱいである。
・その後も、歴代の素晴らしい指導者に恵まれ50回連続出場の表彰(10月10日)を受けた。部活動も時代の変遷と共に何かと大変厳しい状況下。特に、ジジの後全国トップレベルの演奏を聴かせ続けてくれた素晴らしい生徒諸君と歴代の先生方に感謝の気持でいっぱいである。
・昔は出場者。今はコンクール主催者。それも、終幕の機をむかえる。これも何か因縁を感じる。
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